2004年12月03日

5 沖原佳典

<画像募集中>
沖原佳典
阪神タイガース 5
内野手 33歳 右投右打
177センチ 80キロ
率0.250本0点2試21
<率0.249本7点41試219>


みかんの国で生まれた奇跡のV戦士。意外にも巧打者な・・・オッキー
タイガースの癒し系。
矢野選手言うところの、タイガースの井川遥こと沖原選手。
しかしこれほどドラマチックな選手は・・・
大好きです。

ヒッティングマーチは
「Let's Go Let's Go 沖原 ここで一発ホームラン 
 Let's Go Let's Go 沖原 命をかけろ     」

そうです。命かけてやってます。

何しろタイガースに入団したのは、4年前28歳のときです。

「遅咲きの苦労人」

この言葉がこれほどぴったりと来る選手はほかにいません。

さて沖原選手の生い立ちを簡単に紹介しましょう。

小学校2年生でリトルリーグ入団。
4年生にして、チーム3軍から一気に1軍へ。
ピッチャーとショートをこなすが、西日本大会ではショートを守る。
6年生のときに「キャプテン翼」に憧れ一時サッカーに浮気するというお茶目な面を持つ。

高校は名門西条高校へ進学、2年生で選抜出場も悪しくも2回戦敗退。
大学は亜細亜大学へ進学し、2年生からレギュラー獲得。
4年生では、なんと打率.417で首位打者に輝く。

普通はここでプロ入りになるのですが、なぜかNTT関東(東日本)へ就職。
翌年アトランタオリンピック代表に選ばれるが、うっかり寝違えて代表辞退に(ほんとです、この頃から人知れず苦労人の道へ)
シドニーオリンピック代表に再度選ばれると、予選から全試合にショートでスタメン出場。
本大会ではプロとの混成チームにもかかわらず出場を果たし、2本のホームランを含む打率.314をマーク。

このときの活躍が”あの”野村監督に認められ、ドラフト6位指名でタイガース入団。
入団時背番号は8番。
(契約金7000万、年棒1300万円)

プロ入り1年目は、3月30日にいきなりスタメンで初ヒットを放つも、3対17で巨人に敗れる。
その後ホームランを打ったりと活躍するも、4月には中指骨折(あらら・・・)
復帰戦の7月の試合ではなんとタイムリーを放つ。
1年目の打率は.197 ホームラン4本。

プロ2年目は打率.248と上がってはいるものの、試合数は1年目より8試合へって63試合。
可もなく不可もなく・・・
さらには片岡選手の入団で背番号剥奪。5番に変更。

プロ3年目の2003年。
ついに沖原選手に人生最大のビッグチャンス!
チャンスに強い代打の切り札として、タイムリーを連発!
スタメン出場した7月12日には、5打数4安打、3打点はバックスクリーンへのホームラン付でお立ち台ゲッツ!
運命の9月15日、甲子園球場での夢の胴上げ試合でも今岡選手に代わって先発しタイムリーを放つ。
ついに優勝という夢をつかんだ!
この年の打率は.341 

そして4年目の2004年には、開幕1軍スタートも誕生日前日の7月26になぜか2軍落ち
またしても苦労人生活に・・・・
しかしウエスタンではさすがに実力が違います。
打率.403としてシーズンを終了。

プロ入りしてたった4年なのにすでに32歳とベテランクラスの年齢ですがまだまだ若手の沖原選手。
まさに人生波乱万丈。

そんな沖原選手を今年も応援して行きたいと思います。

今年もウエスタンで会えるのかなぁ・・・・・

(沖原選手過去の新聞記事)
僕のリトル時代
シドニー五輪で県人活躍 沖原、プロ選手しのぐ成績愛媛新聞
スポーツ新聞HP掲載記事(2003-4年)
2002年以前 アマチュア時代のものもあります
(なんと姓名判断まで)
沖原 佳典 姓名判断
”意志強固で、いかなる困難にも負ける事のない、忍耐力と実行力の持ち主です”だそうですが・・・・
あたってます。
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32 久慈照嘉

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久慈照嘉
阪神タイガース 32
内野手 36歳 右投左打
169センチ75キロ
率0.118本0点0試31
<率0.257本6点153試1196>


1969年4月19日生
右投・左打
東海大甲府高-日本石油-阪神-中日-阪神
身長169cm・体重75kg(公称)
プロ野球界では5本の指に入るであろう、親しみやすいサイズ。
(楽天・大島選手、ロッテ・小坂選手よりは大きいと思いますが)

92年、初めて甲子園の地を踏んだ私は、ルーキー久慈選手の、
大きさ(小ささ?)とやわらかな守備の動きに一目ボレ、
以後阪神ファンへの道を歩むこととなりました。
ある意味、同期生みたいなものだと勝手に思っております。
そのため、久慈選手が中日にトレードとなったときには、
周囲から「おまえも中日ファンに移籍か?」といわれ、
引退危機説が出るたびに「一緒に阪神ファンを引退するか?」と
ささやかれる日々を送っております。

そんな私が思うところの、久慈選手の魅力とは、やはり守備。
そして、なんというかギャップを感じさせるところでしょうか。
なんかねぇ、こうだと思ってたら、実はああで、
でもやっぱり、まわりまわってこうだった、みたいな。
(↑文章になってない)

以下、久慈選手に感じるギャップの例。

*スター選手のような華やかさがない。地味。

高校時代、甲子園に春夏連続出場。しかも4番(えっ)。
社会人時代、社会人ベストナイン。日本選手権で優勝経験あり。
阪神入団は、ドラフト2位の上位指名。
入団1年目、ファン投票1位でオールスター出場。
同じく入団1年目、打点ベッタ・ホームラン0本で新人王獲得。
・・・と、なにやら、華々しい球歴。

*守備の人。

確かに守備は、やわらかい動き、打球への反応、など素晴らしい。
が、時たま、あれ?っていうポカをやらかしてくれる。
案外そのポカが多かったりする。エラー数もそれなりに。
でも、やっぱりうまいけど。

*打撃はイマイチ、というか、打たない。打点が異様に少ない。
 というか、どうにかしてほしい。

特に第一期阪神時代は、打たなかった。
が、ノーヒットノーランを阻止させたら、阪神一。
9回ツーアウトから阻止してしまう、空気の読めなさ。
他の人が打たない時だけは、勝負強い打撃。
なにげに、チームが優勝するときには、
打撃好調(いいトコで打つ)、というちゃっかりさも。

*その打撃の非力さから「5m以上、打球が飛ばない」と言われる。

なんと、阪神入団1年目、8本の三塁打を放ち、
和田選手とともに三塁打王になっている。(どうやって?)
チャンスで打席がまわると、間違いなく「こりゃダメだ」と思われる。
だからこそ、たまのタイムリーで狂喜乱舞できるのである。

*堅実、といわれがち。

トレード通告にブチ切れ「ぼくの人生、こんなもの」発言や、
なんじゃそりゃな登録名「テル」など、
突然どうして?と思わせる言動が稀に見受けられる。

いても大して目につかないのに、いなきゃいないで物足りない。
そんな久慈選手の存在そのものがギャップ。

「出場機会は少ないけれど必要な選手」
「若手のお手本になる選手」
などと評されるのは、嬉しいのは嬉しいけれど、
もうそんな年齢になっちゃったんだなぁ、
いつまでこのユニフォーム姿を見ていられるのかなぁ、
と、淋しい気持ちもするここ数年。
でも、最後まで一生懸命応援するからね!

守備固めでの出場が多い、守備界の‘8時半の男’久慈選手。
球場で、テレビの前で、試合の終盤に
ちっちゃな背番号「32」がショートにいるのを見かけたら。
ぜひぜひ大きな声で「くじ〜!」と呼んでやってください。


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24 桧山進次郎

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桧山進次郎
阪神タイガース 24
外野手 36歳 右投左打
177センチ 77キロ
率0.306本18点84試130
<率0.263本143点575試1229>


現役タイガース生え抜きベテラン勢の中で、本当のミスタータイガースといえば「ひ〜やん」こと桧山進次郎選手です。

ヒッティングマーチ
「この一打に賭けろ 気合いで振り抜けよ 
 誰もおまえを止められなぬ 桧山よ突っ走れ」

最近の野球ファンのかたは、ホークスの振り付けに違和感感じてる人も多いと思いますが、岡田監督が現役で優勝を経験した当時、「バース、掛布、岡田」のクリーンナップばかりでなく、「真弓だ、吉竹だ」とみ〜〜んなヒッティングマーチには振り付けがついてました。
それがどうでしょう。
今のタイガースでは派手な振り付けのヒッティングマーチは桧山選手だけとなってしまいました。

ま、まぁ〜それはいい。

自らが入団当時から公表するように韓国国籍を持つ在日の選手だが、新聞のインタニューに対し言った様に「韓国人魂」をかけてタイガースのために死力を振り絞った活躍を見せてくれています。

小学校5年生のときに父親が桧山のために作った野球チームに入団し野球生活を始めました。
平安高校時代は甲子園出場もなく、その後の東洋大学にて2年生で首位打者獲得し、4年生の時には主将として東都リーグ優勝。
通算本塁打13本は歴代3位の記録となり、日米大学野球代表に選ばれるなどようやく全国的になったのはこの頃からです。

とはいえ、91年ドラフト4位指名でタイガースに入団したとき現在の活躍ぶりを予想した人はいたでしょうか?
入団2年目ウエスタンで9本塁打。
3年目では2軍のオールスターゲームでMVPを取得しますが。1軍でのめざましいしい活躍はまだありません。

その後1軍に昇格し、オールスターには97年に初出場を果たしますが、本格的に活躍を見せたのは入団8年後の2000年代に入ってから。
01年に選手会長に選ばれると、いきなり4月に通算100本塁打、いきなり28試合連続安打という球団新記録を樹立し、続く02年には初のオールスターファン投票1位での出場。
そして、運命の03年。
4月に1000試合出場を達成、プロ入り初のサヨナラホームラン、サイクル安打達成と「桧山進次郎ここにあり」というところを見せてくれました。
この年、チャンスにめっぽう強い4番打者として活躍した桧山選手。
お立ち台でのかん高い声も素敵でした。
そして胴上げ後のビール掛けでの、うれしいインタビューでの桧山選手の姿は忘れません。

04年には前半やや出遅れたものの、途中かららしさを見せてくれ、プロ入り最高の打率.306をマーク。

FA権取得の時には、移籍のうわさもあり周囲を心配させましたが、桧山選手は生え抜きの生涯タテジマを突き通して欲しいと思います。
今年はスペンサーの入団でやや脅かされていますが、まだまだ負けずこれからもがんばってください。



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31 濱中おさむ

濱中おさむ
阪神タイガース 31
外野手 27歳 右投右打
179センチ 85キロ
率0.118本1点1試17
<率0.270本43点160試345>
我が阪神タイガースの濱中おさむ外野手について、僕は今日この場で断言いたします。

「濱中おさむは顔面で損をしている」

こちらの阪神・浜中が選手生命の危機! 右肩痛再発で登録抹消 という記事にもある通り、昨年7月に手術した浜中の右肩痛が再発したのです。

ん、「浜中」と「濱中」はどっちが正しい表記なんでしょう。
たしか、「治」を「おさむ」と平仮名表記に変更したときに「浜中」も「濱中」に変更したんですよね。
記事の中では「浜中」になってて、今年の選手名鑑では「濱中」に
…なんか変更があったのですかね?

少し本題から外れました。
とにかくこの故障は選手生命を左右する非常に危険な故障。
03年、怪我が完治しないままでの強行出場がたたってこのような残念な結果になったことは阪神ファンなら誰もが知っています。
僕たちはあなたの早期の回復を心から願っています。

しかし今回はそのような悲しい現実があるからこそ、以前から個人的に気になっていた「顔面で損」という考察をあえてとりあげたい。不謹慎で申し訳ないです。

この新聞にもあるように濱中が「虎のプリンス」と呼ばれるにはおそらく3つの理由があります。

1.4番候補の最有力だから

2.いちおうまだ若いから

3.顔が王子様っぽいから




そう、顔面が「王子様」っぽいのです。
しかもどちらかと言えば「あほぼん」の部類に入る王子様・・・。

ひじょうに王冠とマントとステッキとバナナが似合いそう…いや、絶対似合う。
かつて「虎のプリンス」と呼ばれた男でもっとも記憶に新しいのがあの新庄さまであることを考えても、「プリンス」と呼ばれるには甘いマスクが必要なのです。

これが中日の井上一樹選手ではいくら活躍しても「プリンス」とは言われないんです。
せいぜい頑張っても「青大将」とかそんなんです。
もちろん彼が若かった時代だとしてもです。
悲しいかな…



で、そんな濱中の顔を見たときに誰もが思うであろう感想。
それは顔面に悲壮感が見当たらないということ。
これで彼は非常に損をしていると僕は思っています。

大事な場面で三振。
「くっそ〜!」と歯軋りしながらフッと濱中の顔を見る。
…半笑い?
あれ、くやしそうじゃない…

今回の故障の直接の原因となった昨シーズンのゲーム中のケガ。
あわててベンチから飛び出るトレーナー!フッと濱中の顔を見る。
…半笑い?
あれ、じゃあ大丈夫かな…?(結果はシャレにならない重症)

とにかく悲壮感がない顔面は勝負師としてはちょっと損です。
凡退しても「笑ってんなよオイ!」と思われるのはホントかわいそう。
どうしても「ああ、おぼっちゃん」とか「ああ、三男坊」という印象しかファンに残らない。

まあ、そういう方は野球選手に限らず一般社会にもたくさんおられます。怒っているのに笑っているように思われる顔とか、またはその逆とか…大抵そういう方は人間関係においてちょこっと損をしてしまいます。

彼の野球の才能とはまったく関係のない部分ですが、ちょっと触れてみました。
繰り返しますが、僕たちはあなたの早期の回復を心から願っています。

【2005年2月26日追記】
濱中選手は現在も復帰に向けてトレーニングとリハビリを続けております。
まだ完全復帰とはいかない状態ですが、打撃のみでの試合参加ならそろそろと言われています。
今年はパ・リーグとの交流戦もあり、DH(指名打者)での試合出場などがありそう。
完全復帰さえできれば、タイガースでは貴重な右の日本人大砲の筆頭として、必ずや爆発してくれることでしょう。

ちなみに文中にあった「濱中?浜中?」という表記の問題について。
現在一般の大きな新聞などでは、原則として常用漢字を用いることが推奨されているらしく、そのためのようです。
本当は「濱中おさむ」が正解です。
posted by しけたろう at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

41 ショーン・スペンサー

<画像募集中>
スペンサー
阪神タイガース 41
外野手 33歳 右投右打
183センチ 96キロ
日本球界1年目
<率0.262本59点242試538>


「シェーン・スペンサー」
名前だけ聞くとハードボイルド小説の主人公のようですが・・・

マイヤーズだのホッジスだの、さんざん期待させて不発に終わった昨年の助っ人投手陣をお払い箱にして、さらにはキンケードなんていうわけのわからん当たり屋を削除。
そして「ぼ、ぼ、僕らのジョォ〜ジィ〜」を泣いて斬ってまで取った、期待の大砲。

・・・・のはずなのに、
来日前から酒癖の悪さを指摘され、いざ日本に着てみると予定外のデブデブしたお腹で、守備練習をさせれば捕れない、投げれない。
フリー打撃させれば、期待のサク越えはなかなか出ない。

紅白戦初出場の目標は「バットに当てること」などという「お前は何様か?」と言いたくなるようなふざけたことをのたまわっている大選手。

なぜかオマリー氏のみは「体重がベストより10キロオーバーといっても、10年前の数字に比べれば増えてるのは当たり前」などと庇うのですが・・・
あの腹を見る限り、「ただのビール腹じゃねぇ〜」かと。

ヤンキース、メッツで大リーグ経験があるといっても10年間でホームラン50本そこらですよ。

シーズン終了後に「これならアリアス斬る必要なかった、アリアスのほうがよかったのに・・」ときっと嘆かせてくれる予感いっぱいのスペンサー氏。

これだけの彼ですから、いじりたくなるのは私だけではないかと・・・

text by fuzys
辛口ストレスカレー本店



posted by しけたろう at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

53 赤星憲広

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サムネイル

赤星憲広
阪神タイガース 53
外野手 29歳 右投左打
170センチ65キロ
率0.300本0点30試138
<率0.294本2点100試484>
04盗塁王 ゴールデングラブ賞


 赤星選手がいなかったら03年の優勝はまずなかっただろう。
 いや、というか、一番打者の活躍なくしてリーグ優勝するなんてありえないのでは
ないかと思う。 それほどに一番打者が出塁する意味は大きい。

 それと、一番打者に定着している選手が最もベースボールプレーヤーらしさを
備えている。
 必ずバットをボールに当て 一塁に出塁する、そこからゲームがまわりだす。
この単純極まりないゲームの始まりを誰よりも強く意識しアグレッシブになって
いるのが一番打者であり、野球をする上で必要な能力を最もバランスよく備えて
いるのも一番打者である。
 ボールを見る目、バットコントロール、足の速さ、状況判断、それらが高い
レベルでバランスよく体現されていることに、私達はいつも驚かされる。

 まさに赤星。 日米親善野球の際に、向こうの選手が口々に出した名前はアカホシ
である。
 つまり、どこへ行っても通用する野球の基本と、それを支える身体能力を身につけた
キラリと光るプレーヤー だということなのである。


posted by しけたろう at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月02日

20 永川勝浩

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永川勝浩
広島東洋カープ 20
投手 25歳 右投右打
187センチ 83キロ
3勝4敗4S防7.99試22
<6勝7敗29S防5.94試62>


1980年12月14日生 広島県出身 
新庄高−亜細亜大−広島(2003自由枠)

プロ野球には「2年目のジンクス」という言葉があります。入団1年目に活躍した選手が、2年目にガクッと成績が下がってしまう事が多いため、そう言われます。
(他球団から徹底的に研究される事、周囲からの期待を重圧に感じてしまう事が理由と考えられます。)
永川投手も、見事に「2年目のジンクス」に陥ってしまった選手の一人です。

高校時代はさした成績を残せませんでしたが、亜細亜大学に進学後、3年秋の東都学生野球リーグでデビュー。150キロ近い速球と落差の大きいフォークでスカウトから注目を集めます。4年次には木佐貫洋投手(現巨人)とともにリーグ優勝に大きく貢献しました。

2002年秋、幼い頃から憧れていたカープに入団した彼に、球団は200勝投手・北別府学氏が着けていた背番号20を用意していました。それだけ期待されていた、ということです。
永川投手は、その期待通りの活躍を見せました。3月29日、初登板のヤクルト戦でいきなりセーブを挙げ、その後も速球とフォーク、そして常に強気な投球でセーブを挙げていきます。オールスターにも出場し、シーズン通算25セーブ。惜しくも新人王は元チームメイトの木佐貫に譲りましたが、長年定まらなかった抑え投手の座は不動と思われました。

しかし翌年、調整不足のままキャンプ入りした永川は、ベスト体重から大きくオーバーしたままで開幕を迎えました。大きくコントロールを乱し、また武器であるフォークも打ち込まれてしまい、抑え投手の座を奪われました。そして5月には2軍落ちを命じられます。
その後、8月には先発で起用されて勝利投手となるなどしますが、シーズンを通しての成績は3勝4敗4セーブ。多くのファンの期待を裏切る結果となりました。

尊敬する投手はメジャーリーグで最多奪三振記録を持つノーラン・ライアン。足を高く上げるフォームや、三振に強いこだわりを見せる姿勢に影響が見られます。

今年のカープは、昨年先発で10勝したベイル投手が抑えを務める予定です。
ですが、できるだけ早く、永川投手がカープの抑えに帰ってくることを個人的には願ってやみません。故津田恒美投手の遺志を継げる唯一の投手だと、私は勝手に信じています。

text by tugend
孤空の彼方へ


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28 広池浩司

広池浩司

広島東洋カープ 28
投手 32歳 左投左打
185センチ 85キロ
2勝2敗1S防2.57試19
<3勝6敗1S防5.39試115>


1973.8.29生まれ/埼玉出身/投手/立教高〜立大〜全日空/右右/背番号28


脱サラしてプロ野球選手になったという異色の経歴を持つサウスポーである。

大学まで外野手だったがドラフトで指名されず、野球とは全く関係ない全日空に就職して羽田空港のカウンター業務を行っていた。そんな広池の目に飛び込んできたのは、移動日で空港にやってきたかつての大学時代の仲間。スーツ姿とはいえ、プロ入りした彼らを見た広池にはまぶしく映ったに違いない。

「もう一度野球がやりたい」と奮起した広池は、全日空を退社してカープの入団テストを受けて見事合格。しかしドラフトの関係でその年の指名は見送られ、単身ドミニカで武者修行の旅に出る。そして翌年の98年ドラフト8巡目でカープに入団することとなる。

入団当初はコントロールが定まらなかったが、ここ数年はコントロールも良くなり、先発にリリーフにと活躍している。かつてカープにはテスト入団から100勝100Sという偉業を成し遂げた大野豊氏のように、まだまだ進化する余地を残してそうである。





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48 天野浩一

<画像募集中>

天野浩一
広島東洋カープ 48
投手 26歳 右投右打
177センチ 70キロ
3勝2敗0S防5.36試45
<5勝6敗0S防3.72試107>



1979.4.12生まれ/香川出身/投手/高松東〜四国学院大/右右/背番号48


「東條、僕の活躍見ててくれたかい?」天野はウイニングボールを手に、ナゴヤドームでのプロ初勝利インタビューを受けながら、そう思ったに違いない。天野を語る上で最も重要なキーワードとなっているのが、背番号48である。

天野が現在背負っている48は、大学時代の後輩・東條典弘が背負っていた背番号。天野とは誕生日が一緒だったということもあって仲がよかったが、不運な事故に遭い、志半ばで帰らぬ人となっていた(現在、母校の四国学院大では永久欠番)。そんな後輩の思いを継ごうとプロ入りが決まった天野は背番号48を希望。ユニフォームが届いた翌日に後輩の墓前に真っ先に報告したという。

故・津田恒美投手のサインボールを所持し、2002年のドラフト10巡目で「讃岐の雑草」の異名を持つ若きリリーフ投手。背番号と同じ48試合登板を目標にしているが、今年は2軍スタートと若干出遅れている模様。177cmと野球選手にしては比較的小柄だが、「決め球は魂」を合言葉に気合の入ったピッチングに期待。

余談だが、天野が入団した1年後にカープに着た松本高明(帝京高)も、天野と誕生日が同じ。もしかしたら、亡き後輩が高明をカープに呼び寄せたのかもしれませんね。




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10 比嘉寿光

比嘉寿光
広島東洋カープ 10
内野手 24歳 右投右打
185センチ 84キロ
W率0.219本2点14試43
<一軍試合出場なし>


比嘉寿光(ひがとしみつ)内野手 背番号10 右投げ右打ち
1981年4月19日生 沖縄県出身 185cm84kg
沖縄尚学高−早稲田大−広島(2004・3巡目)

比嘉選手は、小学生で野球を始め、小・中とキャプテンとして活躍します。
高校は沖縄の強豪・沖縄尚学高校に入学します。2年秋にはキャプテンとして、また不動の4番としてチームをセンバツ大会出場に導きます。

99年春。PL学園などの強豪を下して迎えた、水戸商との決勝戦。
ショートを守っていた比嘉は2回にエラー。これがきっかけで水戸商に2点を先制されます。しかし、比嘉はその裏、いきなり2ベースを放ちます。この後、沖縄尚学は逆転に成功し、試合は7−2で勝利。史上初めて沖縄県の高校が甲子園で優勝を飾ったのでした。
比嘉は後に、「自分のエラーで失点を許した。だけど、このまま引きずったらダメになる。」と語っています。彼の「責任感の強さ」が垣間見えるエピソードです。

大学は古豪・早稲田大に進学。1年春からレギュラー選手となり、3年からは4番打者となり、1年先輩の和田投手(現福岡ソフトバンク)や同期の鳥谷内野手(現阪神)らと共に、早稲田の六大学リーグ2連覇に貢献します。4年次には主将に選ばれ、プレーで、そして言葉でチームを引っ張りました。そして、春・秋のリーグ戦で連続優勝し、早稲田初の「リーグ4連覇」を成し遂げたのでした。

2003年秋、ドラフト指名を受けて広島へ入団した彼は、スカウトをして「大学時代の山本浩二(現監督)に似ている」と言わしめる程の期待をもって迎え入れられました。
しかし、キャンプで「プロの壁」にぶち当たり2軍へ。4月には親指じん帯断裂の重傷を負い、3ヶ月間のリハビリを余儀なくされます。7月に復帰し、2軍戦でホームランを打つなどしましたが、結局1軍出場はお預けとなりました。

彼の魅力を一言でいうならば、
「やるときはやる男前」
といったところでしょう。
彼はいつでも全力でバットを振り抜きます。高い打率を残せるバッターではありません。しかし、一度ボールが当たればその打球は鋭くレフト方向へ飛んでいきます。
そして、高校・大学と、優勝がかかった試合にめっぽう強いバッターでした。
プロのピッチャーにだいぶ慣れてきましたので、その魅力を発揮する機会が近く訪れるものと思っています。
あと、何と言ってもあの笑顔。力強い目。白い歯。私が女だったら惚れてしまっていたはずです。
(現に、大学時代は鳥谷よりずっとモテていました)

心から沖縄を愛する未来のスター。
(好きな食べ物は「海ぶどう」。酔うと沖縄弁でまくし立てる、という噂も)
今年始めに入籍し、心機一転、2年目を迎えます。

text by tugend
孤空の彼方へ

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25 新井貴浩

新井貴浩
広島東洋カープ 25
内野手 28歳 右投右打
189センチ 89キロ
率0.263本10点36試103
<率0.262本98点278試649>



1977.1.30生まれ/広島出身/内野手/広島工〜駒大/右右

豪快なバッティングと明るい性格に加え、地元広島出身ということも手伝ってカープの人気者。「若大将」とも言われている。金本がFAで阪神に移籍してからはなかなか調子があがってこないが、首脳陣からは「ミスター赤ヘル二世」として大きな期待を寄せている。

その豪快なバッティングとは裏腹に、守備の下手さは球界トップクラス。サード守備では毎年2ケタエラーを記録し、1塁守備でもファンをハラハラ。そんなもんだから、新井が普通のゴロを普通にさばくだけでファインプレー並みにスタンドが沸く。

打っても守っても走っても、常に何かをやってくれそうな不思議なオーラの持ち主。ここ数年不本意な成績が続いているだけに、今年の奮起に期待したい。




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1 前田智徳

前田智徳

広島東洋カープ 1
外野手 34歳 右投左打
175センチ 80キロ
率0.312本21点70試121
<率0.303本219点795試1512>



1971.6.14生まれ/熊本出身/外野手/熊本工/右左

メジャーに行ったイチロー、中日の落合監督、そして長嶋茂雄までもが認める天才打者。左打席に立って鋭い眼光で相手投手を睨み、ホームランを打っても納得の表情を見せず、完璧なバッティングを追い求めるその姿から「球界の侍」と言われている。

前田ときってもきれないのが度重なる故障で「ガラスの天才」とも言われている。神宮球場で右足アキレス腱断裂という大ケガを負い、その後復帰したものの、悲鳴を挙げる右足を引きずりながらのプレー。しかし前田はそのプライドから悲鳴に耳を傾けることはなかった。この時前田はこうコメントしている。「左も切ってしまえば左右のバランスが合うのかな…」そして度重なる故障からようやく復帰できた2002年、市民球場でおよそ2年ぶりに放ったホームランでは、普段寡黙な前田が涙を流していた。(この年にカムバック賞を受賞)。

と、ここまでは真面目に書きましたが、グラウンドを離れるとまったく別のキャラだということを付け加えておきます(笑)。特に広島ローカルの選手会ゴルフでは、グラウンドでの求道者というイメージではなく、はしゃぐわ毒舌だわ…。そんなもんだから、前田のゴルフ光景は他球団ファンには封印モノだということは、カープファンの暗黙の了解になっています(苦笑)。





 
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55 嶋重宣

嶋重宣
広島東洋カープ 55
外野手 29歳 左投左打
181センチ 90キロ
率0.337本32点84試137
(率0.320本35点114試247)


1976.6.16生まれ/埼玉出身/外野手/東北/左左/背番号55


背番号55を着けている所から「赤ゴジラ」の異名を持つ2004年首位打者。今でこそ華々しく活躍する選手だが、実はプロ10年目の大ブレイクという球界きっての「苦労人」である。

甲子園を沸かせた大型サウスポーとして95年に入団し、現ヤンキース・松井秀喜と対決するものの、その後肩の故障で打者転向。しかし打者になっても度重なる故障で二軍暮らしが続く。2003年オフに尾形の入団に伴い、00から55に背番号変更を打診されてこれを了承。大砲ナンバーとなったこの番号をもらったのは、嶋にとっても好材料だったのかもしれない。

開幕直前にライト候補だった森笠が故障で離脱したのも、嶋にとっては幸運だった。開幕スタメンでは2番に座り、ナゴヤドームでホームランを放つ。その後もヒットを量産し続け、4月の時点で打率4割という驚異的な数字を残すものの、月間MVPの座はホームランを量産した巨人の阿部に明け渡す。この辺りから嶋の周囲が騒がしくなってくる。

シーズン終盤の腰痛で200本安打は達成できなかったが、苦節10年の首位打者にはカープファンのみならず多くの野球ファンを感動させた。今年は去年以上のマークが厳しくなることは確かだが、「赤ゴジラ」の挑戦はまだまだ続く。



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2004年12月01日

16 川村丈夫

kawa.bmp kawa16.bmp
川村丈夫
横浜ベイスターズ 16
投手 33歳 右投右打
182センチ 80キロ
4勝8敗0S防3.07試58
<57勝53敗0S防3.82試211>


 名門(野球じゃなくて勉強で)・神奈川県立厚木高校から一般入試で立教大学入り。雑誌のインタビューで高校の野球部の思い出を聞かれ、「’部活’の思い出といえば...」と切り出した、およそスポーツマンらしからぬユニークなキャラクター。(プロに入るような選手は、「部活」なんて言葉使わないって。生活の全てだからね)


 ステップする左足をギリギリまで着地しない、これまたユニークなフォームから、美しい回転のストレートを小気味よいテンポで投げ込む。投げ終わった後、けり足を高く跳ね上げるので、「’白鳥の湖’投法」なんて言うファンもいるようだ。でも、もしマネしたいのなら、むしろこの絵の体勢のまま「ギリギリまで左足を着地しないで、ずおおおっ!と体を沈める」動作を練習するといいよ。そうすれば、投げ終わった後、自然に右足が跳ね上がります(いきなりやると足を痛めるので注意!)

 98年、プロ入り2年目で開幕投手を務め、完封勝利。チームの快進撃のきっかけとなる。後半は絶不調だったけれど、日本シリーズの第6戦、西武・西口投手との息詰まる投手戦、優勝の立役者となる。翌年17勝の大活躍....その後背筋痛(ガングリオン、とかいろいろ言われていたが、詳細は不明)などで徐々に成績を落とし、2002年はわずか3試合の登板、ついに無勝利。そして背中の手術....。2003年、5勝を挙げ復活のきざし。2004年はセットアッパー(抑え投手につなぐ、重要な中継ぎ)として58試合に登板。貴重な活躍をしてくれた。

 川村投手の最大の魅力は、ギュイーンと金属音がしそうな美しい回転で抜群の伸びを見せる絶品ストレート。

 川村投手は高校のころ監督の指導で「かまぼこ板投げ」の練習をしたそうだ。どういうことかというと、かまぼこ板はうまく投げるときれいに上向きの回転がかかってまっすぐ投げられるのだ。が、ちょっとでも指のかかりのバランスが悪いと、カーブしたりシュートしたりしてまっすぐ飛ばない。この練習で、バランスよくきれいに上向き回転をボールに与える訓練をしたらしい。その成果なんだろうけど、いいときの川村投手のストレートは非常に美しい回転で抜群の伸びを見せる。その反面「当ると飛ぶ」、つまりホームランも打たれやすいのだけれど。

 そしてもう一つの魅力が、表情の豊かさ。

 ホームランを打たれて、ニヤっと笑いながら、「ヤッベー、真ん中にいっちゃったー」なんて言っていそうな様子が手にとるようにわかる....なんていうと、野球の指導者や監督からは、ものすごく怒られそうなパターンだけど、それも見ているこちらとしては魅力的なのだからしょうがない。

 表情が豊か。つまり「正直」。「無防備」と言ってもいいかもしれない。

 よく、「勝負の世界は非情。’正直’、’いいヤツ’では勤まらない。’いやなヤツ’、’腹黒いヤツ’、’こすっからいヤツ’、でちょうどいい」などという人がいる。問題は、「勝負の世界では」という部分。勝負の世界に限らず、日常生活やニュースで漏れ聞く現実世界、いたるところで’いやなヤツ’、’腹黒いヤツ’、’こすっからいヤツ’、が目先の利益を求めて右往左往している光景を、僕らは見ている。そんな人たちをのさばらせていてはいけない。ましてや、「非日常」の「夢」を売るプロ野球。実力さえあるなら、より’正直’で’いいヤツ’が得をする方が、社会的に好ましいに決まっている。

 この愛すべき正直者が、今年も活躍しますように!

text by Honeywar
Honeywarの野球日記
posted by しけたろう at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

22 佐々木主浩

佐々木主浩
横浜ベイスターズ 22
投手 38歳 右投右打
189センチ 95キロ
1勝2敗19S防3.18試25
<43勝35敗248S防2.35試430>



言わずと知れた球界一のストッパー。通算248セーブ
横浜においては、野球ファン以外にも顔を知られている数少ない選手の1人でしょう。

1968年生まれの37歳。横浜投手陣の中では最年長。
宮城県の名門、東北高校から東北福祉大を経て、89年ドラフト1位で横浜の前進、大洋ホエールズに入団。

東北高校の後輩には、パチスロ&喫煙が原因で卒業式に出られなかったダルビッシュ有(日ハム)、『赤いゴジラ』の愛称で去年ブレイクした嶋重宣(広島)がいる。
(赤いゴジラとは、ヤンキースに行ったゴジラ松井秀喜と同じ背番号55で、ユニフォームが赤いことから付けられている)

佐々木がドラフトに掛かった年、一番注目を集めていたのは、史上最多の8球団から指名を集めた野茂英雄(デビルレイズ)だった。横浜はクジに外れたため、佐々木を1位に指名している。
(この頃はまだ逆指名も自由獲得枠もなく、クジによる抽選が行われていて、毎年数々のドラマを生み出していた)

2年目からリリーフに回り、150?の速球と「来ると分かっていても打てない」とまで言われた落差のあるフォークボールで、『佐々木につなぐ』という横浜の勝利パターンを確立した。(そのパターンになかなか持っていけないのが痛いところだったんだけど)

当初は『佐々木様』だった愛称も(「ササキ様におねがい」って漫画もありました)、サンスポが報じた『大魔神』が定着。いまでは大魔神=佐々木と言っても言いすぎではないでしょう。

95年からは4年連続で最優秀救援投手賞を受賞。(その賞は今年から最多セーブ投手賞に変わるそうです)
98年には横浜ファンが38年待ち望んだ優勝に貢献。優勝前の9月19日には横浜駅地下街に佐々木の右腕をかたどった『大魔神社』が出来た。当然俺も拝みに行きましたよ。ちなみに優勝を決めた時のバッターは当時まだ阪神いた新庄(現日ハム)。もちろんフォークボールで三振だった。甲子園での優勝決定の日、仕事で佐々木達を追っかけ回していた私は、佐々木、谷繁バッテリーに捕まってしまった。「ばれてるんだよ。でも今日だけは許すよ」と言ってくれ、選手会の祝勝会にも入れてくれた。(10分くらいだけだったけど)ファンとしても記者としてもホントに感謝してます。

その翌々年、大リーグシアトルマリナーズに移籍。37セーブをあげてアメリカンリーグの新人賞を獲得している。4年間で129セーブをあげて、昨年日本球界に復帰している。
しかし古傷の右ひじ痛が再発して19セーブ止まり。オフに手術している。

今年のキャンプでは、江夏豊をはじめ多くの評論家は「まだ最盛期にはもどっていない」などと酷評しているが、実戦で作っていくメジャーにいた佐々木を今の段階で判断しているのは間違い。きっと今年は最終回に君臨する魔神として戻って来てくれるだろう。っていうか戻ってきてくれなきゃ困ります!

あ、それから『ストッパー』っていうのは、試合終盤の1、2イニング限定(大体最終回のみ)で相手の攻撃を防ぐ事を専門にしている投手のことです。アメリカでは『クローザー』とか言ってますね。
ちなみにまったく個人的なことだけど、ウチの息子は佐々木に憧れて野球を始め、佐々木モデルのグローブでピッチャーやってます。目標は「佐々木監督を胴上げすること」なんですよ。

text by かに
台風一過
posted by しけたろう at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10 佐伯貴弘

20040704_SaekiTakahiro_35.jpg

佐伯貴弘
横浜ベイスターズ 10
内野手 35歳 左投左打
186センチ 90キロ
率0.322本19点57試127
<率0.284本101点523試1260>


通称:ハマの男前(ベイスターズの選手は愛称の頭に「ハマの」と付くことが多い)
1970年4月18日生まれ(今年35歳)
大阪市東成区出身
尽誠学園高校→大阪商業大学→横浜ベイスターズ(92年ドラフト2位)
 ※高校ではあの伊良部投手の後輩で、ルームメイトだったそうです。
左打ち左投げ
内野手ですが、外野守備もこなします。

彼の野球人生は語り継がれるべき伝説の宝庫です。

大商大時代
 通算12本塁打(ホームラン)で当時関西六大学リーグの本塁打記録
 三冠王(本塁打王、首位打者、打点王)2度

横浜入団
 92年ドラフト2位で横浜入団。だが彼は本当は阪神に入団したかったと周囲に漏らしていたそうです。ですが、入団を希望する球団はと聞かれて「どこでもいい」と、本心を明かすことはありませんでした。
 その入団会見のあと、事件は起こります。記者会見に姿を見せたお母様がおもむろに「うちの息子は女の子を見ると股間をふくらませてしまう若輩者ですが、どうぞよろしくお願いします」と発言してしまいます。佐伯の心中はいかに……。ですが、小学校2年生のとき父親を亡くして以来女手ひとつで佐伯を育て上げたお母様を誰よりも大切にしている男・佐伯でありました。

 97年オフ、契約更改で佐伯は球団の提示した金額を保留します。これはよくあることですが、そのときの佐伯の発言が「標準語を話す人とは話がでけん。大阪弁を話す人を用意しろ」というもの。早速球団は大阪出身の交渉人を連れてきて「これでどないや」「サインします」の運びとなりました。後に「球団もプロでした」と懐古。

 2001年、彼の愛車からタイヤ4本が盗まれるという事件が発生しました。タイヤのなくなった車を見た佐伯は「(バック・トゥ・ザ・フューチャーの)デロリアンかと思った」と、その傍で記念写真を撮影したとか。

 2004年11月11日、日米野球に出場。日本チームで唯一、しかもK.ロッド(奪三振王のロドリゲス)からホームランを打ってしまうという快挙を達成します。しかし、それまでこの大会で無安打が続いており、直前には外野守備時、打球を後逸していていかにも微妙なタイミングだったせいか、「やってもた……」という顔で走っていたのが印象的でした。インタビューはほとんど逃げ腰で「もうええやん」と言いたげでした。

 2004年オフ、FA(フリーエイジェント)権を取得していた佐伯は残留の条件として横浜スタジアム入場料の値下げを提示。しかし球団側は「お前の野球人生だから好きなようにしてくれていい」と、積極的に引き止めなかったと、涙ながらに佐伯は訴えました。結局、牛島新監督の引き止めがあってFA権を行使することなく、無事残留が決まりました。(私は阪神入団のチャンス!と思って密かに期待していたのですが)

なんだかネタ的な話ばかりになってしまいましたが、この選手紹介を読んで佐伯に興味を持たれた方がいらっしゃったら、今シーズンは是非「横浜ベイスターズ」を応援してあげてください。


posted by しけたろう at 10:10| Comment(1) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1 金城龍彦

kin.bmp

金城龍彦
横浜ベイスターズ 1
外野手 29歳 右投両打
177センチ 85キロ
率0.302本13点52試133
<率0.290本35点191試634>


 2000年、ファンの目から見ても明らかにベイスターズのチーム状態は変だった。投打がかみ合わない....と言えば、野球にはありがちなこと。単なるめぐり合わせの悪さだけなら、時が解決してくれるかもしれない。だが、チーム内に不協和音があることは、ハタ目から見ても明白だった。さまざまなウワサや憶測が流れた。

 そんなイヤな雰囲気を吹きとばしたのは、これまで実績のなかった選手たちの、ひたむきなプレーだった。ドラフト1位入団で、横浜では特別な背番号「24」(かつてのエース・遠藤一彦投手の背番号)を背負いながら、4年間活躍できなかった細見投手の力投。佐々木投手の穴を埋める、ルーキー木塚投手の熱投。谷繁捕手がジンマシンで戦列を離れている間、チームを立て直した相川捕手のリード。

 そして何より、どんなときも必死でボールに食らいつき、ヒットを打ち続けた金城選手の活躍。


 近大付属高校で甲子園出場を果たした投手。社会人(住友金属)時代も速球派の投手として鳴らし、打席には立っていないということなのだが、プロ入り後、当時ファームにいた田代打撃コーチの指導の下、スイッチヒッター(左右両打ち)に転向。2年目の2000年に、めきめき頭角を現した。

 この年、横浜は最後までヤクルトとAクラスを争い、最終的に3位を確保するのだけれど、金城選手の活躍なしにはこの成績はありえなかっただろう。金城選手は打率.346で、史上初の新人王−首位打者ダブル受賞を果たす。

 金城選手を「フリスビードッグ」に喩えたファンがいるそうだ。確かに、守備でもバッティングでも、全身でボールに「バコッ」と食らいつく様子は、見ていて気持ちいいほどだ。

 その代わり、全身でボールに食らいつかないプレー、すなわち、「送りバント」や「盗塁」は極端にヘタ。

 言わば「野生児」。自然体でプレーさせてこそ真価を発揮するタイプだ。2001年から2002年にかけての首脳陣の無理解から、打率.271→.170と大スランプに陥った金城選手。2003年から2004年は、山下監督の下、ノビノビとプレーできたのだろう。連続して打率3割に復帰。守備でも、俊足・強肩、なによりボールに食らいつく野生児の本領を発揮して、生き生きとしたプレーを取り戻した。

 今後の活躍も楽しみ。さてしかし、「送りバント」がヘタなのはともかく、「盗塁」はできるようになってくれないと物足りない。なんと2004年は0個。せっかく足が速いんだから。

text by Honeywar
Honeywarの野球日記


posted by しけたろう at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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