2004年12月08日

61 寺本四郎

<画像募集中>
寺本四郎
千葉ロッテマリーンズ 61
外野手 25歳 左投左打
175センチ77キロ
E率0.316本5点37試75
<率0.250本0点0試23>
 

“松坂世代”という言葉をご存じだろうか?
1980年4月2日生まれ〜1981年4月1日生まれの同級生野球選手の総称を野球ファンはこのようにくくる。

何故、“松坂”世代なのかといえば、この学年の中心人物がご存じ柴田元日本テレビアナの旦那であり、日本球界のエースとして君臨している西武ライオンズ・松坂大輔投手その人だからである。
だから、要するにこの世代でイチロー選手が生まれていたら“イチロー世代”になっただろうし、松井選手が生まれていたら“松井世代”になった事だろう。

しかし、イチロー選手の同級生を“イチロー世代”と言うくくり方は基本的にはしない。この“〜世代”という言い方は今のところ松坂投手とその同級生達にだけ用いられる。

その主な原因として、松坂投手の同級生には、プロ野球界のエースとして活躍している選手、またはこれから大活躍するであろう有望な選手が多くいるからである。
例えば、ソフトバンクスの和田毅投手、新垣渚投手、巨人の木佐貫投手、久保投手、広島の東出選手、永川投手、横浜の古木選手、村田選手・・・他にも多く在籍している。

前置きが非常に長くなってしまったが、今回紹介しようと思っている寺本四郎選手も、松坂世代だ。

高知県の名門・明徳義塾から98年ドラフト4位で千葉ロッテマリーンズへ投手として入団。
期待され、入団二年目から一軍のマウンドへ数試合登板はしていた。しかし、入団三年目。高校時代から定評のあった打撃を活かす為に野手に転向。
打撃成績は年々上昇し、一軍でも何本かヒットを放っているが、守備、走塁はまだ、勉強中だ。
プロ野球選手としては、未だ、結果の出ない寺本選手だが、高校時代は、松坂投手と同じ位人気を博した選手であった。彼の名を一気に有名にしたシーンがある。
1998年夏の甲子園大会、準決勝。
相手は松坂大輔擁する横浜高校。
前日、PL学園との延長17回の死闘を戦い抜きチームはボロボロだった。松坂投手は250球を投げ抜きこの試合は登板しない予定だった。
ところが、横浜高校はこのゲーム窮地に立たされることになる。
七回を終わって0−6と明徳義塾に圧倒的にリードを許していたのである。横浜高校もここまでか・・・。と誰もが思ったいたはずだ。
ところが、八回、九回で試合は予想外の展開を見せる。
八回に怒濤の連打でまずは四点を返した横浜高校。その勢いに乗って横浜は明徳義塾の九回の攻撃に松坂投手を登板させる。テーピングを右腕からはぎ取るシーンはまさに、漫画のヒーローそのものだった。そのイニングを無難に抑えると、横浜高校の打撃陣はますます力を発揮し、明徳義塾の二番手高橋一正投手を攻め立てついに、サヨナラの場面までこぎつける。
サヨナラの場面を迎え、一塁にいた寺本選手が再びマウンドへ向かう。
明徳も、エースを勝負所へ投入しこの場面を乗り切ろうとした。ところが、横浜の勢いは止めらなかった。
横浜・柴選手の放った打球はフラフラッとセカンド後方へ飛びポトリと落ちた。
その瞬間、マウンドに覆い被さるように泣き崩れていたのが寺本選手だった。寺本選手だけでなく、明徳ナインは全員泣いていた。
僕は、今でもこの試合が甲子園大会のベストゲームだと思っている。
そして、僕が高校野球を志したのもこの試合を見たからなのである。泣き崩れる寺本選手の涙、力無くうずくまるその姿に優しく語りかけていた松坂投手・・・。激闘の先にあった友情に感動した。

今年でプロ七年目を迎える寺本選手。ロッテの外野陣は新戦力を迎え層が分厚くなった、まだまだ成長しなければならない面は多いだろうがまずは、左の代打として一軍に定着してもらいたい。そして、プロでも松坂投手との名勝負が見たい!
今年は、彼の名前を一軍の試合で多く聞きたいと願っている。

寺本四郎 千葉ロッテ所属 外野手 左投げ左打ち。


※成績のEはイースタンリーグ(二軍)の成績です。
昨年、寺本選手は1軍出場がありませんでした。

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2004年12月07日

41 松村豊司

matsumura-thumbnail2.jpg

松村豊司
オリックス・バファローズ 41
投手 24歳 右投右打
190センチ 82キロ
0勝1敗0S防6.75試6
<0勝1敗0S防6.75試6>


オリックス・バファローズの投手に松村豊司という選手がいます。
出身が滋賀県で同郷という理由で、はじめはチェックしていました。
が、実際に(市販の)選手名鑑の写真を見てみると、なんのなんの。

イ・ケ・メ・ンじゃないですか〜揺れるハート(笑)

何よ何よ、こんなかっこいいなんて聞いてないわよ!
と、本気で思いましたです、ハイ(苦笑)
(※似顔絵は全然イケメンに見えない)

イケメン・イケメン♪ と、チェックする理由ができてしまえば、あとは野球バカの真骨頂(笑)
このイケメンが、どういうフォームで、どんな球を投げるのか……そちらに興味が出てきました。
豊司さん(※村松外野手と読み違えることがあるので、僕はあえてこう書いています)の投げている姿を始めてみたのは、ヤフーBBスタジアムでプロ初先発をした試合でした。
それまでは中継ぎでなかなかの成績(1イニングを3者凡退で抑えたこともあった)を残していたので、期待したのですが……
この試合では、初回で途中降板という散々な結果。
先頭打者を出した後、緊張で上手くストライクが入っていないように見えました。
(しかも相手が、強打者ぞろいのホークスだったこともあるかも……)
降板後、ベンチ裏での憮然とした表情が忘れられない……

投げるときの動作は、とても「シンプル」です。
「大きく振りかぶる」動作はしないし、変則なフォームでもありません。
癖がないというか、特徴がないというか、良くも悪くもシンプルな印象です。
190センチとかなりの長身でありながら、ほっそりした印象があるのも原因かな?
でも、球はかなり速いほうだと思います。
自己アピールに「長身から投げ下ろす速球」とあるように、速球にはアマチュア時代から定評がありました。
実は高校時代、県内でも「本格右腕がいる」と噂になったのですが、怪我で実力を出し切れなかったという過去が……。

藤井寺球場のウェスタンラストゲームを観にいったとき、たまたま先発だったので、バッチリ生で見てきました(笑)
一軍での初先発の時に比べるとはるかに落ち着いた投球でした。
二死満塁のピンチも無失点で切り抜けました。
試合慣れさえしてくれば、本来の力が発揮できるんじゃないだろうかと思っています。

今季の活躍を期待している若手選手です♪

text by 青葉和
青葉和の落書き帳
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23 北川博敏

<画像募集中>
北川博敏
オリックス・バファローズ 23
内野手 33歳 右投右打
180センチ 89キロ
率0.303本20点88試133
<率0.276本40点184試456>


94年、ドラフト2位で阪神に捕手として入団。ちなみにこの年の阪神ドラフト入団選手は5人中3人その後近鉄に入団してます。(北川・川尻・山村)

阪神時代は1軍と2軍を行ったり来たり。ホームランは0本だった。

しかし95年のジュニアオールスターでMVPを獲得。賞金の300万で「釣り船を買いたい」と言って周囲を驚かせる。

2000年オフ、湯舟敏郎・山崎一玄とともに近鉄にトレード。(相手は酒井弘樹・面出哲志・平下晃司)

2001年、彼にとって大きな転機の年となる。DHのある近鉄で出番を与えられ、打撃開眼。切り札として活躍する。

そして、2001年9月26日、大阪ドームでのオリックス戦。この試合を勝てば、近鉄の12年ぶりの優勝が決まる大一番。

3−6、オリックスリードで迎えた9回裏、ドラマが始まる。

先頭打者吉岡がヒット、次の川口が2塁打、代打益田が四球でノーアウト満塁。ここで代打に起用されたのは、2日前に松坂から代打で同点ホームランを放っている北川。

2ストライク1ボールからの真ん中に来たスライダーを振りぬいた打球はあっという間に左中間スタンドに。

マンガでもありえないだろう「代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン」。

これ以降、彼の野球人生は大きく変わった。

そして昨年、そのときの対戦相手、オリックスと近鉄との合併が明らかになり、その後のヒーローインタビューで近鉄ファンの声援に涙するような好青年である。通称「アンパンマン」。笑顔が似合う選手である。

text by kyowaka
kyowaka's blog

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63 吉良俊則


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吉良俊則
オリックス・バファローズ 63
外野手 19歳 左投左打
179センチ 82キロ
W率0.250本0点0試10
<一軍出場はなし>


1986年1月1日大分生まれ。
2005年3月現在いまだ公式戦に出場したことのない、2年目に入るところの「磨き始めたばかりのダイヤの原石」である。
見た目はまだあどけなさの抜けない、子犬のような目をした可愛らしい少年だ。

柳ヶ浦高に所属していた高校時代、吉良はその童顔に似合わず高校通算54本塁打を放った強打者だった。
新人選手選択会議=ドラフト会議の前には11球団から「欲しい」と言われていた、高卒選手の中では目玉のひとり。

吉良はダイエー(当時)ホークスか西武ライオンズに入団することを希望していた。
高校生は好きな球団を選んで入団することはできない。
入りたい球団が運良く指名してくれることを祈るしかない。

しかし祈りは届かず、吉良を指名したのは大阪近鉄バファローズだった。

志望球団以外なら大学進学すると公言していた吉良はしかし、バファローズに入団することを選ぶ。

「55本塁打」と記した下手くそな字のサイン
それは54発男のプロへの意気込みを小さい色紙いっぱいに膨らませた瞬間だったのかもしれない。

契約金は漁業を営む父親に漁船を買ってあげるのに使ったという親孝行息子。
一軍デビューの時はそのお父さんが大阪ドームで大漁旗を振って応援すると公約していたっけ…。

バファローズに入団した吉良の素質を見込んで熱心に指導したのは故鈴木貴久二軍打撃コーチだった。
「欠点を指摘して修正するのではなく、長所をできる限り伸ばしてやる。そうすれば欠点などカバーできるようになる」
という主義だった鈴木貴久コーチは、大西・下山(現オリックス)や山下(現楽天)らを育て一軍へと送り出していた。
この年(2004年)、近鉄とオリックスとの合併が発表される一ヶ月ほど前に突然他界した鈴木貴久の、末っ子弟子だった吉良。
3月に肘を痛め手術することになってしまい、鈴木コーチもさぞや草葉の陰で「もう少ししごきたかった」と心残りだっただろう。けれど、吉良にもたしかに「いてまえ魂」は継承されたと私は信じている。

2004年9月、選手会によりストライキが決行された時、バファローズ選手会は藤井寺球場でサイン会を行った。終わる頃、私はフェンスにもたれてグラウンド内で行われていた野球教室を眺めている吉良を見つけてサインを頼んだ。吉良はやっぱりまだ大きな目のあどけない可愛らしい少年のようだった。

合併による分配ドラフトにより、吉良は「オリックスバファローズ」に所属することになる。

でも、私は実はこっそりと吉良の背番号の「近鉄バファローズ」のレプリカユニフォームを作った。オリックスで新しく与えられた「63」ではなく、もちろん「39」の。
着ることはないのだろうけど、いつかそれを持っていることを自慢したいなぁと思って。

まだ公式戦の経験もない19歳のあどけない少年。
だけど、数年後のホームラン王かもしれない。
翻る大漁旗は、当たり前の風景になるかもしれない。

そんなワクワクを感じながら若い選手を見るのも、楽しいもんですよ。

text byさいん
day by day
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2004年12月06日

49 マルティネス

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マルティネス
中日ドラゴンズ 49
投手 25歳 左投左打
198センチ 91キロ
日本球界新加入



 今季からドラゴンズに加入した新外国人選手ながら、入団前からほとんど彼のことを褒めた記事を見かけないという珍しい選手。自分は、あまりの書かれように思わずファンになってしまいました。身長198センチですから、遠くからでもかなり目立つはず。気のいいカリビアンですから、きっと気持ちよくサインしてくれるでしょう、たぶん。ぜひ見かけたら、○ちゃんと呼んであげてください。

 えーと、彼の新聞記事にはだいたい「発砲男」という定冠詞がつくことになっているのですが、これは2004年の2月にドミニカで国税局職員に発砲して殺人未遂の容疑で指名手配されたことが原因です。でもよく調べてみると、ホテルの駐車場の駐車スペース争いで、相手が銃を持って出てきたため、正当防衛で相手の胸と足を撃ってしまったということ。さらにマルティネス君にとってはかわいそうなことに、相手が銃を持っていたことが警察に確認できず指名手配さてしまったため、マルティネス君がおとなしく自首したところ、ようやく正当防衛が認められたということらしいのです。
 個人的にはここまでのエピソードで、実はマルティネス君、かなりの「ビビリ」なのではないかと思っているのですが…。おまけに趣味はテレビゲームだし。

 さて「ビビリ」なんだから、マジメにおとなしく練習しているかと思うとそうでもありません。なにしろ、キャンプ早々の400メートル走がイヤでイヤでしかたなくなると、「下痢」というイマドキ幼稚園生でも言わないような言い訳でトイレに逃げ込んでしまったり、森投手コーチから「クイックの練習をしておくように」と言われても、なかなかピッチングをせず、ブルペンをフラフラして森コーチに追い払われたりと、叩くネタには困らないという「こまった君」でもあります。しかし、まさに陽気なカリビアンここにアリという感じで、本人はコーチからの叱責もちっとも堪えておらず、コーチのイライラ何処吹く風と今日もマイペースの調整で頑張っています。

 そんなヤツはさっさとファームに落としてしまえ、というのが大方のドラゴンズファンの偽らざる気持ちだとおもうのですが、マルティネス君いざ投げるとなかなかスゴイ。先日のフリーバッティングでも、2年連続本塁打王のタイロン・ウッズ選手からあっさり2三振を取ってしまうのを見てもわかるように、まだ調整段階ながらなかなかの素質を秘めたピッチャーなのです。ブレーキ鋭いチェンジアップ、それにスライダー、カーブと言った変化球を持ち、それになにより2メーターから投げ降ろす角度のある、Max150キロ以上と言われる速球は威力十分と言われています。

 ただし、もちろん良いことばかりではありません。だってメジャーリーグだって、そんな素晴らしい若手左投手をあっさり手放すわけないじゃありませんか(笑。
 まずクイックはおろか、セットポジションが上手にできません。ランナーはたぶん完全フリーパス。おまけにセットになると球速130キロ台へと頼みの球速も急降下。そのうえ、荒れ球で「行き先はボールに聞いてくれ」というタイプの制球力を誇っています。

 こんな調子なので、ドミンゴ様を手なずけたドラゴンズの誇る猛獣使い森コーチも、さすがに呆れ気味。果たして1軍登板があるかどうかも微妙なトコロなのですが、高い金払って連れてきた外国人選手ですから、故障のない限りオープン戦のどこかで必ず投げるはずです。以上の注意点を踏まえて見て頂ければ、面白いこと請け合いですから、ドラゴンズのオープン戦は要注目です。というか、ボコボコされて、現実の厳しさを見せてやれという声も大きいのですが…。
 しかし、たとえファーム落ちすることになっても、心を入れ替えて練習しさえすれば、大化けの可能性はアリアリですから、是非ドラゴンズの今年のイチオシ、マルちゃんに注目してください。ダメかもしんないけど。

■ルイス・マルティネス 1980年1月20日、ドミニカ共和国、サントドミンゴ生まれの24歳。198センチ、91キロ。左投、左打。96年ドラフト外でブルワーズ入団。メジャーでは03年のみ4試合に登板し、0勝3敗、防御率9.92。03年は3Aで28回1/3連続無失点を記録するなど、2Aと3Aで計12勝5敗、防御率2.13、160回2/3の投球回数を上回る162奪三振の快投で、チームの年間最優秀マイナー投手賞を獲得。尊敬する人物は母親。趣味は音楽鑑賞とテレビゲーム。

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37 小山良男

<画像募集中>

小山良男
中日ドラゴンズ 37
捕手 25歳 右投右打
181センチ80キロ
新人


私の紹介したい選手は中日・小山捕手です。
彼は中学、高校、大学と日本一になり、高校では松坂、大学では木佐貫、永川といった好投手とバッテリーを組みました。
私は彼を球界一の捕手だと思ってます。
肩は強くありません。足も速くはない、打撃も長打力があるとか、広角に打ち分ける技術が巧みだとかは思いません。
でも彼には捕手としての最高の「心」と「笑顔」があります。
彼を意識したのは高校2年の夏の神奈川県大会、横浜商との試合で9回裏松坂のボールを捕れず、サヨナラ負けした時です。
その頃の松坂は高校生らしい、荒々しいピッチングでした。三振も奪うが、四球も出す、といった感じで、小山もただ必死に受けているだけという印象でした。たしか最後、スクイズを警戒してウエストした球が少し抜けて小山が捕れなかったと記憶してますが、彼はその悔しさをバネにし、大変ハードな練習を積んだそうです。
 そして、一冬越して現れた彼らは見違えました。松坂の球威、球威、制球ともに抜群の投球はもちろんですが、小山の捕手としての存在感の素晴らしさに驚き、捕球技術も向上し、松坂を堂々と引っ張る姿には感動を覚えました。
 また、声をかけるときのあの笑顔。渡辺監督からもその人間性に厚い信頼を寄せられ、後継者にとの声もあがったと聞いてます。
 彼は古田や谷繁の様に相手の弱点を突くタイプではなく、投手を気持ちよく投げさせ、力を発揮させるタイプの捕手ですので、受けて欲しいという投手は沢山出てくるはずです。ルーキーですが、一年目から中日投手陣を育てる良い捕手になるはずです。
 彼にはプロで活躍し、その後アマチュア野球に戻って、学生を指
導してほしいと願ってます。確か教員免許ももってるはずだし。
(入団したばかりでそんなこと言ってごめんなさい)
 というわけで、頑張れ!小山!

text by きぃちゃん
きぃちゃんの日々是野球

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0 高橋光信

<画像募集中>
高橋光信
中日ドラゴンズ 0
内野手 30歳 右投右打
177センチ 88キロ
率.296 本3 点9  試 35
<率.232 本9 点21 試101>


「見極め型代打職人」

昨年、必殺技「待球」という代打としては斬新な武器を引っさげ一躍全国区に。しかしながら本来のキャラとしては完全に和製大砲なのである。


高校はあの横浜高校。1コ下には斉藤(巨人)、多村(横浜)、紀田(横―西)、矢野(楽天)と豪華なメンバーが、1コ上には中野(元中日)が(豪華?)いた世代。また、国際武道大時代は、あの高橋ヨシノブがいるにもかかわらず全日本の4番を務めたのは有名なお話。


「こっちのタカハシのほうが長打力は上」なーんて触れ込みで入団、ずいぶんと期待したものだが、毎年期待されながらなかなか1軍に上がれずくすぶっていた。


彼のウィークポイントとして「一塁しか守れない」「特別足が速いわけではない」。要するに「使い勝手が悪い」という何とも損な点が挙げられる。この手のタイプは、よっぽど打たないと使ってもらえない(まあ入団の時点で、ある程度は予想ついただろうが)。かといって2軍で爆発的に打ったというわけでもない。このままフェードアウトしそうな匂いがプンプンだった。


が、昨年、落合監督に代わったことで背番号も変わったが(現監督の66→0へ)、環境も変わった(彼に俊足巧打型をイメージさせる「0」をつけさせるのはどうも違和感を感じるのだが…)。

我慢して使ってもらっているうちに代打の切り札的な地位を確立、それも「フォアボ−ル屋」という新しいキャラで。
もともと貫禄のあるゆったりした構えでちょっとカッコイイのだが、そのせいかどうか不思議と投手がボールばかり投げる。落合監督も選球眼のよさをマスコミにしっかりアピールして、キャラ作りの手助け。昨年巨人戦での代打押し出しですっかり有名に。かくして、高橋が一軍にいる「理由」ができたわけである。


しかしどうだろう。選球眼がよいキャラが浸透しちゃったので、初球から手を出しにくくなってはいないだろうか。多少甘い球でもつい見逃してしまうみたいな。君の本分は長打を打つことなんだからね、といいたいところ。


おそらく今年も大事な場面での代打の切り札として登場するだろうが、解説者が四球を期待するようなコメントをしたら気をつけよう。

彼は長距離ヒッターだ。

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6 井端弘和

井端弘和
中日ドラゴンズ 6
内野手 30歳 右投右打
率0.302本6点57試138
<率0.283本19点159試628>


井端弘和(いばた・ひろかず)背番号6
1975年5月12日生まれ (自分大好きと思われる)B型
神奈川県出身。実家は現在静岡の模様。
現シダックス野村監督の勧めで堀越高に入学。1年の時遊撃手のレギュラーとなる。92年春、93年夏に甲子園出場。
亜細亜大学ではを97年大学選手権準優勝、東都リーグベストナインに3度選出。
ドラフト5位で中日ドラゴンズ入団。背番号48。
2004年から立浪選手より選手会長を引き継ぎ、見事セリーグ優勝を果たす。

何と言っても守備が上手い! 守備の上手い遊撃手に弱いのでこう言う人ダイスキ☆
セ界一と言われる荒木との二遊間守備はお見事の一言に尽きる。北谷名物のオレ流ノックをこなす努力の人。
2001年、福留・立浪と激化した遊撃手の地位を実力で獲得。2004年度まで守備率1位をキープ。でもGG賞は毎回Ys宮本さん…。地味って事ですか。2004年念願のGG賞受賞。
右ひじに爆弾を抱えながらこの守備は見事。今年は守備率10割&もちろんGG賞受賞を目指す。

よく試合中爪噛んでるけど、爪噛む人って甘えただとか寂しがりーだとか。恐らく全球団にオトモダチがいるんでなかろうかって位色んな人と(試合中)喋ってる。審判とも仲良しさん。きっと構ってくれオーラを出してるに違いない。
そろそろ結婚かと毎年ファンを期待&不安にさせながら30歳の内に結婚する宣言。(早よしろ。)
最近発言が微妙にオヤジ化してきているけどバレンタインのチョコは去年同様1位。(去年は本人は若手が結婚しているから自分に集まると至って謙虚なコメント。)FANはいばちんが超甘党な事を知っているって。前太ってきたからケーキを自粛していた時もあったよね…??

活躍を初めて生で見たのは2004年9月11日の広島戦。ヘッドスライディングで内野安打とし、勝ちを呼び込んだ試合。守備のイメージが強かったので1塁への全力疾走に感激

とにかくFAN想い。契約更改の時のコメントは本当にかっこよかった!
真面目にFANサービスについて語る一面もあり。サングラス越しに見える女性が楽しみ☆な発言をし、練習中でもFANをしっかりチェックしている可愛い一面もあり。

今年こそは日本一!を宣言する選手会長を今年も応援!

text by クルネコ
クルネコ日記


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7 川相昌弘

川相 昌弘
長く巨人軍に在籍、一昨年 中日ドラゴンズにテスト入団 内野手
バント&守備は、一級品
バントの職人 バントの神様とも呼ばれる
バント=川相の代名詞

 だがそれだけではない…

バント [bunt] 大辞林(国語) より
野球で、バットを振らずに軽くボールに当て、内野にゆるく転がすこと。

送りバント(犠牲バント)大辞林(国語) より
野球で、打者が走者を進塁させるために行うバント。

スリーバント 〔和 three+bunt〕 大辞林(国語) より
野球で、ツー-ストライクのあとで行うバント。ファウルの場合は三振とされる。

スクイズ-プレー  [squeeze play] 大辞林(国語) より
野球で、三塁走者と打者とが示し合わせ、投手の投球と同時に走者が走り、
打者がバントして走者を生還させようとする攻撃法。スクイズ。


川相選手に興味を持ったのは、川相選手が巨人時代、監督は藤田元司氏

 ある、ペナントレース真っ只中の時、
相手のチームは忘れてしまった。しかし、あの時のプレーは、今でも鮮明に
憶えている。「スリーバントスクイズ」

 ランナー三塁、アウトカウントは、忘れてしまった。
打席には、バントの名手「二番 川相」

 スクイズ警戒 相手チームだけではなく、球場、解説者、
そしてテレビに釘付けになっている、ファンもそう読んだに違いない。

 初球、バントの素振り無し… 2球目 3球目 川相はバットを振る
ファウルで粘る。
「川相は、外野フライ狙いか?」バッテリー 解説者、
おそらく、誰もがそう思ったのだろう。その瞬間…


「あっ〜〜!!」

アナウンサーより、私が先に声を出したかもしれない。顔色変えずに、バットを横にねかす。
川相はスリーバントスクイズを決めた…

 球場から、異様な どよめきが起こる。
 だがそのどよめきこそ、川相に対する最高の賛辞である。

これは、おそらく、球場の花形「ホームラン」では得られないものだろう。

 ここ一番で、まったく素振りを見せず大仕事をする川相は、恐ろしいほどの
強心臓の持ち主であり、史上最強の2番打者は「川相 昌弘」だと
この時点で、私は、勝手に決め付けた。

 巨人の時代からそうであるが、川相をバントの職人とだけ見るのでは、
川相選手に失礼だろう。彼は、サヨナラ安打も多い。そして、非凡な打撃センスの持ち主である。当たり前といえば、当たり前だ。非凡な才能を持っていなければ、弱肉強食のプロ野球で生き残れるはずもない。

 もっとも、非凡な才能も、天性のものに、努力で積み重ねたものである事に
変わりはないが…

 巨人時代、引退してコーチの依頼もあったが、彼は選手である事を選んだ。
そして、中日に移籍した。

 中日に移籍した時、ある記者が「守備の人というイメージがあるのですけれど…」
と聞いたら、ムッとした、というエピソードもある。

 昨年中日で2つのサヨナラ安打を記録している。
何れも、引っ張ってのレフト方向。おそらく、川相に対する
「バント、守備の名手、ライト方向への進塁打」
大方のイメージは崩れたのだろう。

 「川相選手は、並み居るプロの中でも群を抜く強心臓」

 野村監督はよくONと比較して、月見草と言う。
しかし、野村氏は、選手、監督としての実績も申し分無い。
そして、とても目立ちたがり屋で、あると思う。

 川相選手もそうではないか?苦労人、自己犠牲の精神が、大きく採り上げられるが、
勝負強さは、歴代の巨人、中日選手の中でも強い方ではないか?
そして、目立ちたがり屋ではないのか?
(プロ野球選手は、みんな、目立ちたがり屋だろうが…)

 川相選手のもう一つの夢は「親子でプロ野球選手として活躍すること」
らしい。息子さんも、高校球児、その夢に向かっている。

 世のお父さんに夢を与えてくれる、うれしいコメントでもある。

 川相昌弘の背中を追う者は、プロ野球を目指す者達だけではない。
その姿に、自分自身を照らし合わせ、苦労は必ず報われると、
励まされている人は多いだろう。

 川相さんの背中は物言わずとも、多くのものを与えてくれる。
そんな川相さんに感謝の気持ちで一杯です。

 川相選手の、もう一つの夢は…

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1 福留孝介

福留孝介
中日ドラゴンズ 1
外野手 28歳 右投左打
182センチ 85キロ
率0.277本23点81試92
<率0.293本120点392試721>



中日ドラゴンズ所属の外野手。右投左打。

1977年4月26日鹿児島県生まれのB型。




野球を始めたきっかけは、地元のスポーツ少年団のソフトボール。小学生の頃からスポーツ好きの父に連れられ、中日ドラゴンズのキャンプを見学していた。そ
こで憧れを抱いた選手というのが、PL学園の先輩であり、また現在チームメイトとしてプレーしている立浪和義選手だった。

PL学園高校では、2年春と3年の春夏の3度、甲子園に出場。3年夏の大会では優勝候補との呼び声も高かったが、準々決勝で敗退。最後は、主将を務める自らの併殺打だった。

「超高校級スラッガー」と、1995年のドラフトの目玉選手としてクローズアップされる。本人の志望球団は中日讀賣であり、それ以外の球団が交渉権を得た場合は社会人野球の強豪・日本生命への入社を表明する。

運命のドラフト。7球団が1位指名をし、交渉権を得たのは近鉄だった。就任したばかりの佐々木監督が赤いふんどしを着けてくじ引きに臨み、「当たりくじ」を引いたときに




「ヨッシャー!!」



と叫んだことは、今でも伝説となっている。「ヨッシャー!!」の叫び声も空しく、福留選手は自分の意見を曲げずに日本生命への入社を決める。このことから、「鉄の意志をもつ男」とイメージを持たれるようになる。要は自分の意志を曲げない頑固さを持っている、ということか―。



1996年、日本生命に入社。守備位置は、高校時代に守っていたショートではなくてサードだった。

アトランタオリンピックの代表選手として、銀メダル獲得に貢献。オリンピック後の第67回都市対抗野球大会では、新人賞に相当する「若獅子賞」を受賞する。また大会優秀選手にも選ばれた。しかし、ベストナイン選考では「守備に問題があるため」バルセロナオリンピック代表選手にその座をさらわれてしまう。


翌97年はチームは東京スポニチ大会と都市対抗を制覇するも、2年目のジンクスからか、国内外の大会で思うような活躍ができなかったようである。

98年はいよいよプロ解禁。秋の日本選手権でチームを準優勝に導き、3年目にようやくベストナインを受賞(三塁手)。遂に、中日を逆指名し、ドラフト1位で入団する。憧れだった立浪選手と同じユニフォームを着て、プロ野球選手としての一歩を踏み出す。背番号は「1」



1999年、中日に入団して最初に守ったポジションは、高校時代と同じショートだった。しかし、守備はプロのレベルとはいい難いもので、試合終盤には名手・久慈選手に代わられることもしばしばだった。

それでも、天性のバッティングセンスを埋もれさせてはならないと、次第に外野の練習にも取り組むようになる。これが吉と出て、バッティングもアマチュア時代の長距離ヒッターから、現在のようなアベレージヒッターへのモデルチェンジを果たす。

外野手に正式に転向したのは2002年。この年の終盤、あのゴジラ松井選手との熾烈な首位打者争いを制し、首位打者として初の個人タイトルを獲得する。



翌2003年6月8日、ナゴヤドームでの中日×広島第14回戦。この試合で、福留選手は史上55人目のサイクルヒットを達成する。ホームランはなんと、満塁ホームラン! 新人時代にもあわやサイクルという試合もあったので、そのときのお返しでもあった。

この年、札幌でアテネオリンピックのアジア予選が札幌で開催された。この大会で打率5割の好成績を残し、アトランタオリンピック以来、約8年ぶりとなるオリンピック代表選手にも選ばれた。


昨年はアテネオリンピックでチームを離れることもあったが、主軸打者としてチームの優勝にも貢献した。主に4番を打っていたが、今年からは横浜から移籍し
てきたタイロン・ウッズ選手という超特大アーチを売り物とする打者が4番に座ることが予想されるため、3番打者として起用されると考えられる。



福留選手、公式ホームページを持っているので、近況などはこちらで確認すると良いだろう。

自分の意志を強く持ち、また日々進化しつづける打者―それが福留孝介なのである。


text by ぼんのすけ
ぼんのすけこっそり日記
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65 ホッシャ

ホッシャ
中日ドラゴンズ 65
内野手 21歳 左投左打
186センチ 90キロ
W率0.159本0点3試合46
<一軍出場なし>




瀬間仲ノルベルト
甲子園での活躍に続く
我が中日ドラゴンズへの入団にも驚いたが
プロの世界の厳しさに驚いているのは
彼自身かも知れない...

以下は今シーズンから登録名を「ホッシャ」に改めた際に
本国ブラジルの日系人向け新聞(その名も「ニッケイ新聞」)に掲載された記事の全文

■「ホッシャ」に改め=中日・瀬間仲=父方の姓、飛躍へ
1月22日(土)

 二〇〇二年夏の甲子園に日章学園(宮崎)の一員として出場し、プロ野球セリーグの中日に入団した日系三世の瀬間仲ノルベルト一塁手(20)が今季から、登録名を「ホッシャ」に改めることになった。二十日に中日球団が明らかにしたと日本のスポーツ紙などが報じている。
 正式名を「ノルベルト・セマナカ・ダ・ホッシャ」とする瀬間仲はイビウーナ市にあるヤクルト野球アカデミーの出身で、当時から「ホッシャ」の愛称を持つ強打者として知られていた。同選手を昔から知る沢里オリヴィオ栄志・パウリスタ野球連盟会長は「父方の名前がホッシャ。ここでは誰もがホッシャと呼んでいた」と話す。
 中日新聞によると、瀬間仲は母方の姓で、元々は「シマナカ」だったがブラジルでは発音しにくいためにいつの間にか「セマナカ」と改名。さらに漢字に付いては野球留学した日章学園理事長がつけたという。
 これまでブラジル出身の選手は玉木(広島)やユウイチ(ユウイチ松元)、ツギオ(ツギオ・レオナルド・佐藤)など日本の名前で登録する選手が大半だった。唯一、ロドリゴ宮本が「リーゴ」として登録されたが、現在は社会人野球に転向。ブラジル名を持つのは瀬間仲ひとりとなる。
 「ブラジルではいつも呼ばれていたホッシャの方がしっくり来る」。昨年は一軍での出場はなかったが、改名を機に飛躍を目指す。

※成績のWはウェスタンリーグ(二軍)の意味

text by 切磋琢磨
今を生きる


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9 井上一樹

井上一樹 中日ドラゴンズ 9
外野手 34歳 左投左打
184センチ 93キロ
率0.276本11点30試113
<率0.270本54点229試830>







井上一樹

井上一樹


その愛くるしい笑顔に、ドラゴンズファンだけでなく、幅広いプロ野球ファンに愛されている男・・・


井上一樹


井上一樹


その愛くるしい笑顔で、世の中に夢を与えてくれる男・・・


井上一樹

井上一樹


その愛くるしい笑顔で、世の中を癒してくれる男・・・


井上一樹

井上一樹


シンデレラボーイグランプリを密かに狙う男


井上一樹

井上一樹


チャンスにいつも打てる訳ではない男・・・


井上一樹


井上一樹


1999年の日本シリーズでは、ノーヒット・・・


井上一樹

井上一樹


でも、何かを期待させる男・・・


井上一樹

捕ったーーーーーー!!


昨年の日本シリーズの第2戦、スーパーダイビングキャッチで、ドラゴンズの連敗の危機を救った男・・・


井上一樹

日本一のビールかけをしたかったいのうえくん


日本シリーズは制覇は惜しくも逃すものの、見事敢闘賞に輝いた男


井上一樹

あんたがラッキーボーイ!!

そう・・・

彼は、ラッキーボーイ・・・



井上一樹
中日ドラゴンズの選手
背番号:9
外野手


2004年シーズン成績
113試合出場
283打数78安打11本塁打30打点
打率.276
2004年日本シリーズ成績
6試合出場
17打数7安打1本塁打8打点
打率.412
敢闘賞受賞!!


僕がなぜ井上一樹選手を好きになったのか?
実はこのブログをはじめたときはまちゃくちゃ好き!!っという訳ではなかったのです。
昨年、開幕絶好調だった井上選手が不調になった時どうしても許せなかったので、ネタとしてこんなずたスポこんなずたスポを作ったんです。
井上選手に対しては、大変失礼なエントリーだったと思いますが、このエントリーをきっかけに、井上選手って、なんていじりやすいキャラだろうと実感しました。
言い換えると、なんと愛嬌があって楽しい方だろうと再認識した訳なんです。

その後もこのブログで取り上げるたびに、盛り上がりました。
他のプロ野球ブロガーの方も「いのうえくん」「ピン様」と呼んで盛り上げてくれました。
そして、何よりも井上選手が活躍すれば、僕自身心からハッピーになれました。

このブログを続けられて、よりプロ野球を好きになれたのは、井上選手のおかげです!!

だから、井上選手大好きです!!

今年もしっかり応援しますよ!!

text by ずたたん
ずたたんTIMELY REPORT

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2004年12月05日

1 岩村明憲

岩村明憲
ヤクルトスワローズ 1
内野手 26歳 右投左打
176センチ 80キロ
率0.300本44点103試138
<率0.293本126点391試688>


ということで、岩ちゃんこと岩村明憲(いわむら・あきのり)選手でエントリー。



あっ、ちなみに今は若松〜池山の流れをくむ背番号は「1」です。



■岩村明憲

 1979年2月9日生 176cm 出身校 : 宇和島東高

 右投げ・左打ち 96年ドラフト2位


 ★ゴールデン賞:00・01・02・04年

 ★ベスト・ナイン:02年

 ★月間MVP1回:04年8月

 ★優秀選手賞:01年日本シリーズ



座右の銘「何苦礎魂」(なにくそだましい)

岩ちゃんブログ「topgun #1」



彼を最初に見たのはファーム97年。高卒ルーキーながら


ファームの主力として活躍!

98年にはファームで本塁打王!(18塁打)将来を予感。

この歳から念願の1軍出場もはたし、02年は初めて3割に!

この年の打率は320 23本塁打+全試合出場達成!

昨年は自己最多の44本塁打、103打点

いまや完全にヤクルトの主軸として大活躍。



将来の夢は、、、ポスティングによるメジャー参戦・・・(^^ゞ










記憶に残っている岩村絡みの試合は、胴上げを目前に控え

神宮が9割の阪神ファンに占拠されたあの試合。

03年9月9日〜11日の3連戦。

3試合とも神宮に行きましたが、阪神ファンの波に呑まれる

異様な雰囲気。

外野の我々ヤクルトファンも四面楚歌。ライト側も阪神ファンの波

きゃぁー(^^ゞ。

9月9日:虎“鬼門”で足踏み


この日、岩村は五回に伊良部から左越えに逆転9号満塁弾。

「ヤクルトファンの応援も聞こえたし、どうしても勝ちたかった」。

9月10日:虎 サヨナラ負けで神宮舞い消滅

この日岩村は2夜連続アーチ!

先発井川から六回に逆転2ラン!胴上げを阻止!

星野監督 不満だらけのM2

六回に右越え11号ソロ

阪神の胴上げがかかった3連戦を3戦連発




9割9分阪神ファンで埋められた神宮の中で岩村が

我々数少ない神宮に訪れたヤクルトファンを歓喜させてくれました。



岩ちゃん、パワーバッターとして、今年も宜しく頼みます!!


text by およよ
Rookie's Bar
posted by しけたろう at 13:00| Comment(1) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5 土橋勝征

<画像募集中>

土橋勝征
ヤクルトスワローズ 5
内野手 37歳 右投右打
179センチ 83キロ
率0.315本9点34試111
<率0.263本76点410試1334>



一時の土橋選手のトレードマークといえば「メガネ」と「2段グリップ」・・。
しかし、いまはその両方ともない。

2000年11月に視力回復手術にふみきると、その余生を勝って2001年1月元・女優・白島靖代さんと結婚。(メガネをやめたからモテたのではなさそうだ)
そして、2001年はヤクルト優勝!

「2段グリップ」も今年(04年)になってやめたようだ。

私自信はベテラン偏重起用を批判してきたので、土橋についてあまり書いていない。
本当は大好きな選手なんですよ。マジで。

土橋はある意味、「ID野球の申し子」といえる。
というか、ホント「ノムさんの好み」を絵に描いたような選手なのだ。

土橋が最初にマスコミに取り上げられたのは(というか、僕が名前を知った)のは、サードを長嶋一茂と争う若手の一人としてだった。

ちなみに土橋選手は飯田選手とドラフト同期。土橋が2位で飯田が4位だった。
土橋選手の出身、印旛高からは同じ年、日ハム3位で名洗将之という選手が指名されている。
エースだったのは土橋選手だったが、評判が名洗選手のほうが高かったという話もある。
また、土橋選手は高校時代、自転車通学でたくましい太ももを培ったという話である。


しばらくすると、試合に出ている土橋を見るようになる。
外野の守備固めだ。
当時もかなり外野は過密競争状態だったが、野村監督の信頼は厚かった。特に肩がいいのがお気に入りだったようだ。
92年、93年の日本シリーズはともに外野の守備固めとして出場しております。

92年、93年はセカンドに外国人をおいて優勝したのですが、94年は外野手の新外国人(クラーク)をとっため、二塁がぽっかりとあいてしまいます。

当初は誰を想定していたかは分かりませんが、結局、ポジションをとったのが土橋でした。

野村監督は、飯田を捕手から二塁にコンバートしましたし、副島や度会、塩谷(阪神→オリックス)などにも二塁挑戦させているので、「二塁はそれほど難しくない」と思っているフシがあるのではないでしょうか?

翌95年は、打撃も開眼し、「三番・二塁」で優勝に貢献し、そのいぶし銀の魅力が全国区となります。
このころから、グリップに厚めにテープを巻き、一握り余らしてバットを持つスタイルが定着します。

これでしばらくは、96年には安泰かと思いきや西武をリストラされた93年パの首位打者、辻発彦が移籍。ときには外野を守らされることもありました。
97年はまたまた「五番・二塁」で優勝に大貢献したのです。

99年新人ながら20勝を上げた上原投手をして、一番投げにくい選手といわしめる選手です。

01年の日本一にも故障と戦いながら貢献。

この、
「守備で1軍ベンチ入り」
「コンバート」
「右打ちもウマイが1発もあり」
というところ、「成り上がり」の過程などがホント好きなんですよ・・。

※ここ2年は規定打席到達には至らないものの3割キープと打撃は堅調。
守備はやや衰えを感じますが・・
しかし、試合に出していれば何かやってくれるのではという雰囲気は、他の追随を許さず、
若手の世代交代のカベになっているといえるでしょう。

参考:視力回復手術体験記(ヤクルトの選手こんなに手術受けてるとは・・・)


posted by しけたろう at 10:30| Comment(1) | TrackBack(1) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月04日

19 上原浩治

上原浩治

読売ジャイアンツ 19
投手 30歳 右投右打
186センチ 85キロ
13勝5敗0S防2.60試22
<85勝33敗0S防2.93試144>



普通、「選手紹介」と言うと、
その選手のプロフィールとか主な戦績などを
書くんでしょうけど、
そんなのは調べれば公式ページにでも載っていますので、
割愛させて頂きます。
(でも、リンクは貼る、親切な私)
そういうのではなく、
観る側からの、観たまんまの「特徴」を、
簡単に語ってみたいと思います。

上原選手の「特徴」を一言で言うなら
「分かりやすい人」って事になるでしょう。
すぐに顔に出る、というのかなぁ、
今、どんな気持ちなのか、どんな状態なのか、
ホントに分かりやすいんです。
悔しがってる、喜んでる、調子に乗っている、疲れている、
・・・ポーカーフェイスという言葉とは
真逆の選手なんですよ。
スタンドからでは顔の表情は分かりませんけど、
でも、体の動き自体も、
疲れている時は、分かりやすく疲れた動きになるし、
調子に乗ってくると、躍動感に溢れてくる。
打たれた後は、マウンドの土を蹴飛ばしている事も
良くあります。
有名なエピソードなんですけど、
松井選手がペタジーニ選手と
ホームラン王のタイトル争いをしていた時、
松井選手のために、援護として
ペタジーニ選手を敬遠するように指示された時に
悔しくて涙を流した事があります。
色々と論議を呼んだ話なんですが、
上原選手の「感情を表に出す所/分かりやすさ」を
端的に物語るエピソードだと思います。
上原選手のこういう特徴って、
勝負って観点からは良い事ではないかもしれないんですけど、
観てる方には良いですよね。
だって、分かりやすいから(笑)

今回の移籍騒動にまつわる言動でも、
物議はかもしましたけど、
彼の「分かりやすい性格」は、良く出ていたと思う。
裏表のない、単純な人なんでしょうね。
(子供である、とも言うでしょうけど・・・)

ピッチャーとしての特徴は、
・ストレートとフォークが武器
・安定感がありスタミナもある、チームのエース
・テンポが良い。
 (彼が投げると試合時間が短くなる)
と言った所でしょうか。


あと、
上原選手については、
大学進学時に、一浪している事
(高校時代に目立った戦績がなく、推薦が貰えなかった。
 浪人中は野球を続けられないって不安だったそうです。)
大学時代にキューバ相手に好投し勝ち投手になっている事
(当時はアマチュアは金属バットです!)
くらいを押さえておけば良いかなって思います。
あとは、
彼の躍動感溢れるピッチングを観て頂ければ・・・

こんな所で、よろしいでしょうか?

text by めたか
at most countable
posted by しけたろう at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

26 内海哲也

<画像募集中>
内海哲也
読売ジャイアンツ 26
投手 23歳 左投左打
186センチ 80キロ
0勝0敗0S防5.14試3
<0勝0敗0S防5.14試3>


〜大カーブをひっさげて〜
内海 哲也(うつみ てつや)
 背番号 26 投手
 敦賀気比高−東京ガス から巨人へ

 高校時代、北陸のドクターKの異名を持つ
ドラフト指名を受けたが、意中の球団ではないので、
プロ入りを拒否 社会人となって、念願の巨人入り
社会人時代もドクターKと呼ばれていた本格派投手

 社会人時代、肩を故障しているので、プロで満足な成績を
残せるか?心配されていた。
 5月、一軍のマウンドに立つが、ここでは、プロの洗礼を受ける。

 やはり、肩の故障は大きかったか…
このまま、終わってしまうのか?とも思った矢先
ペナントレース終盤の、プロ初先発で、衝撃なデビューを飾る。

 球種を増やしたらしいが、恐るべきは「カーブ」
その時、解説していた、江川さん曰く「2段階のカーブ」
これが、恐ろしいくらい曲がる 曲がる。

 私は勝手に内海投手の「大カーブ」と呼んでいる。

 かつて巨人軍 堀内監督は現役時代
「カーブ」(ドロップ)を武器にしていたらしいが、
(堀内氏の現役時代、私は生まれていなかったし、
テレビで、数回見ただけなので武器にしていたらしい、という表現をご了承ください)

現在では、大きなカーブで勝負できる投手は珍しいのではないか。

 背番号と同じ26「26勝」を目指しているそうだが、
少なくとも、昨年見せた「大カーブ」を見せられたら、
あながち、むちゃくちゃな目標と思えない。

 今年は何勝するのか?期待は大きい。

カーブ  [curve] 大辞林(国語)より
〔「曲線」「湾曲した」の意〕
円弧を描くように曲がること。また、その曲がっている部分。曲線。
「ゆるやかに―した道路」
野球で、投げた球が曲がること。また、その球。高低差を伴う。

ドロップ [drop] 大辞林(国語)より
物が下に落ちること。
抜け落ちること。落第すること。
野球で、カーブの一種。たてに鋭く落ちること。また、そのような球。
「―する球」


カーブと言っても色々な種類がありまして、
右投手なら、右から左へ弧を描くように曲がるカーブもあれば、

 縦に割れるカーブ(ドロップ)
右から左へではなく、高いところから落ちるようなカーブもあり

 スローカーブ
スピードを抑えたカーブ右投手なら、右から左へ弧を描くように曲がる
主に打者のタイミングを外す目的(ウラをかく)の変化球であるが、
この変化球を決め球(打者に止めを刺す必殺技)にする投手もいる。


posted by しけたろう at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

31 西山秀二

nishi31.bmp


西山秀二
読売ジャイアンツ 31
捕手 38歳 右投右打
174センチ 88キロ
率0.111本0点0試22
<率0.243本50点282試1203>


南海ホークスに入団した数少ない現役選手の一人・西山秀二捕手。広島の正捕手として活躍した後、2005年に読売ジャイアンツに移籍。

 勝負強いバッティング、そして体型からは想像もつかないほど足が速いのも楽しい西山捕手。本職の捕手として、僕が一番好きなのは、「フォークの連投」です。


 フォークボールは、バッターの手元で急激にストン!と落ちる変化球。空振りも奪いやすいけれど、ワンバウンドなどすると、キャッチャーが後ろに逸らしやすい。ランナーがいれば進塁を許してしまうし、時にはホームインも許してしまう、危険でスリリングなボール。

 だからランナーが3塁にいたり、キャッチャーが後逸(ワイルドピッチまたはパスボール)した直後などは、普通のキャッチャーならフォークボールのサインは出せないところ。解説者も、「ここはフォークが使えないから、もうストレートしかないよ。バッターは1・2の3で思いっきりバット振ればいいんじゃないの?」などと解説しがち。

 しかあし! 西山捕手はスッと腰を浮かして構える。左右どちらにも動いて、ボールを絶対に後ろに逸らさないために。

 バッターも解説者も、誰も予測していないフォークボール! ワンバウンドしても、西山捕手は文字通り体を張ってボールを止める。もちろんバッターは空振り三振。こんなスリリングな場面を僕は何度も目撃しています。もちろん、ときにはピッチャーの方がビビってしまって、落ちないフォークをホームランされる、なんてこともありますが....

 可能性を狭めることはない。ボールは自分が止めればいいんだから。ピンチや失敗を跳ね返す、智恵と勇気が、西山捕手のリードにはあります。このリードに惚れこんでしまって、僕は「もう一球フォークで来い!」という歌まで作ってしまいました。

http://www.geocities.jp/honeywar_deluxe/words/01_2004_SFF.html

まだまだ現役で活躍する西山捕手を見られるのが、本当に楽しみです。

text by Honeywar
Honeywarの野球日記

posted by しけたろう at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

清原和博

510871c56917e04b452b81c2d4645a40.jpg

清原和博
読売ジャイアンツ 5
内野手 38歳 右投右打
188センチ 104キロ
率0.228本12点27試40
<率0.276本492点1439試2153>


はじめて生で見た野球の試合に出ていたのである。
しかも、ホームラン2本。しかも、2打席連続。
1本目はレフト。2本目はセンターだった。
とんでもない爆音だった。

彼は前年夏に1年生ながらPL学園の4番を務め、
全国大会優勝の実績を持っていた。
その彼が、PL学園が春のセンバツで
地元京都西(現京都外大西)と2回戦で当るという。

なぜだかわからないが、たまたま応援バスが出ると言うので
父親に言ってその試合を観に甲子園と来ていた。

しっかりとその残像が頭に残っている。
スタンド目がけて一直線。
打球が遠く遠くへ飛んでいく。

一塁側アルプススタンドにいた僕はただ呆然とした。
防戦一方。あまりもの大差に応援しない父親に喝も入れた。
仕方なく父親も声を出して応援した。

試合は1−10。PL学園は優勝こそ逃したが準優勝だった。
センバツ大会は通常、投高打低といって
ピッチャーの成績がよくバッターの成績が悪い。
ピッチャーが涼しくて投げやすい。
バッターが打ち込みが足りなくて打てない。
そういう大会である。だから派手さに欠ける。
夏の大会に比べるとその盛り上がりに欠ける。
そんな中、彼は1試合で2本もかっとばしたのだ。

1試合で2本。
それが彼のキーワードである。
彼は1試合に連発できる男だった。
そしてセンバツよりも夏の選手権でこそ真価が発揮された。
数々の甲子園本塁打記録を持っている。

1試合3打席連続。
3試合連続。
1大会5本。
甲子園通算13本。(5大会)

5大会は高校生が出場できる大会のマックスだ。
夏、春、夏、春、夏。
全大会で本塁打をかっとばしている。

ひとつだけエピソード。
それは高校三年の夏、準々決勝で起きた。

高知商の中山(元大洋)から打ったレフトへのホームラン。
推定距離140メートルとも言われる当たり。
甲子園のレフトスタンド上段に飛び込んだホームランは
プロ野球選手でも打つことができないという代物だった。

音。
彼が放った後の打球音は他とは比べ物にならない。


僕の高校一年生の夏の大会が終わってから
今のような消音バットに変わった。
音がうるさ過ぎて耳を悪くしたキャッチャーがいたとか。

金属バットの申し子と呼ばれた。
そういう世代である。
他のチームのバッターもホームランをよく打った。
だが、飛距離が違う。音が違う。そこらの高校生とも違った。

だから、松井秀が打っても
鵜久森(済美高−日ハム)が打っても物足りない。
音が違うんだよ、音が・・・。

プロ野球に入ってからの彼のことはご存知の通り。
えっ?知らない?
・・・仕方あるまい。

当然金属バットや高校生のピッチャーのレベルの問題ということも
言われてもおかしくはなかった。
が、そういう声が聞けたのは1年目の途中までだった。
終わってみれば高卒ルーキーの記録を塗り替え、
プロ野球記録である新人(1年目)31本塁打に並んでしまった。
そして打率.304をマークした。
3割は一流バッターの証明だった。

高卒で30本?!3割?!信じられない。
松井秀が11本だったことを思えばその凄みがわかってもらえるはずだ。
そんなバッターはそれ以来見たことがない。


僕が好きだったのは西武時代に1回裏に飛び出す
ライトへの少し詰まり気味のホームランだった。
芝生席にポトリ。少年たちが走ってそれを取りに行く。
東京ドームではそれを見ることができない。

闘争本能を剥き出してピッチャーに向かっていく姿勢。
デッドボールに腹を立てバットをピッチャーに投げつけた時もあった。
出場停止処分を食らった若き日の彼。

木製バットに持ち替えて20年。
あの日の髪型のままだが
音は違う表情を見せる。拍手や声援。
彼はバッターバックスへと向かう。
史上8人目のプロ通算500号まであと8本。
デッドボールにフォアボール、三振、一塁の守備。
彼ほど野球が似合う男はいない。と思う。



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7 二岡智宏

二岡智宏
読売ジャイアンツ 7
内野手 29歳 右投右打
180センチ 81キロ
率0.269本9点49試91
<率0.279本95点289試674>


1976年4月29日生まれ
広島県三次市出身
広陵高→近畿大→ジャイアンツ(1998年ドラフト二位・逆指名)
右投右打

二岡選手は1976年4月29日、広島県三次市に生まれます。
小学校4年生の時、地元の少年野球チームに入団。お父さんがそのチームの監督だったそうです。
当時のチームメイトには、現・阪神タイガースの福原忍選手がいます。
小学校も同じだったそうで、福原選手とはその後、高校(=広陵高校)まで同じ学校で過ごすことになります。

少し話は飛んで、広陵高校入学。
小ネタですが、とある雑誌でインタビューを受けたとき、「今だから告白します、ゴメンナサイ、あの時僕は…」という問いに二岡選手はこう話しています。
{あ、一つあった。寮の部屋でラーメン食べてて汁を窓から捨てたのをボクシング部の監督に見られた」
(プロ野球aiより。)
とんでもないことをするものです(笑)
そんな広陵高校在学中、二岡選手の人生を揺るがす、とある事件が起きます。
二岡選手の出ている試合を見に行く途中、二岡選手の父と母が交通事故に遭ってしまったのです。
この事故で二岡選手は父を失います。
事故のあった翌日は、決勝戦。
それでも、次の試合で二岡選手は快投を見せ、見事チームを優勝に導きます。
このエピソードを聞くたびに、私はふと目に涙を浮かべていた時期がありました。

近畿大学進学。
大学時代、二岡選手はいくつもの国際大会に出ています。
現在のチームメイトである、高橋由伸選手や上原浩治選手とも、こういった大会でともに戦っています。

そして、ドラフト。
二岡選手を語る上で最もはずせない部分です。
地元出身の有力選手である二岡選手を、カープが目を付けないことは、あり得ないと言ってもいいでしょう。そして、タイガースも獲得に名乗りを挙げます。
そして、最後にジャイアンツ。
結局二岡選手はジャイアンツに入団します。
このことについて、様々な方々が様々なことを言っておられます。
二岡は金で強奪された。そうおっしゃる方もたくさんおられます。
このことについて、私は一つ思うのです。
「火のないところに煙は立たず」
ファンである私でも、二岡選手は完璧に潔白とは思いません。
いろいろな事を言われていますが、(例:数億の裏金をジャイアンツからもらっていた、いや、カープもかなりの額を渡していた、などなど…)そういう噂が立つ以上、そのようなことが有ったことはほぼ間違いない、と言うのが私の立場です。

嫌な話はこの辺りにして、二岡選手の魅力について。
最近こそホークスの川崎選手や和田投手に押されている感はありますが、少なくとも2003年初め頃までは女性人気No.1を誇っていました。
彼に惹かれてジャイアンツファンになったという女性は、かなりの数いると思われます。
よく、「愛想も振りまかないし、ファンサービスもろくに出来ないあんな選手の何処がいいんだ」とおっしゃる方もよくいらっしゃいますが、それに一つ反論の意味も込めまして(笑)
多くの女性は多分、笑顔に惹かれるのだと思います。
普段はあんなにむっつりして、ファンの声援にも殆ど反応しない、たまに反応するとしても、ちょっと手を振る、振り向くくらい。
でも。
仲の良い選手と話しているときや、試合で結果を残したとき。
そんなときにふと見せる笑顔というのが、とても自然なのです。
その笑顔に魅せられてファンになる方が多いのです。きっと。
作られたワケではない、とても純粋なその笑顔の前では、彼に影のようにつきまとうドラフト時のことも、多くの汚れたゴシップも、あっという間に消えてしまう。
二岡選手の笑顔には、そんな魅力があると思うのです。

text by みっこ
緋鯉帳


posted by しけたろう at 10:00| Comment(4) | TrackBack(2) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月03日

14 能見篤史

<画像募集中>

能見篤史
阪神タイガース 14
投手 26歳 左投左打
180センチ 70キロ
新人



プロフィール
能見 篤史 ノウミ アツシ
1979年5月28日生まれ/AB型/兵庫県出身/180cm・70kg/左投左打/
出身:鳥取城北高校ー大阪ガス(98〜04年・7年在籍)
2004年、ドラフト自由獲得枠にて阪神タイガース入団決定。
対戦してみたい打者は「小久保さん(G)」/巨人ファン。
高校時代は、水戸商の井川投手(現阪神タイガース)、平安の川口投手(元オリックスブルーウェーブ)とともに、「左腕三羽烏」「左腕ビック3」など呼ばれ高く評価を受ける。甲子園出場経験は無し。
大阪ガス入社後は、肩痛など故障に泣き5年間実績を残す事は無かったが、6年目の03年日本選手権にて3試合に登板し2勝を挙げチーム準優勝の原動力の一人となり、敢闘賞も受賞。しかし、この時決勝のマウンドでは延長11回裏に日産自動車の伊藤選手にさよなら二塁打を放たれ負け投手となる。
以後、04年春のスポニチ大会でも完投勝利を納め、チームもベスト4へ進出、5月の九州大会ではチームの優勝に貢献。7月に行われた、ハーレムベースボール大会日本代表にも選出。
都市対抗予選ー本戦と夏に調子を落とすが、ドラフト前の日本選手権予選では復調しチームも選手権への出場を決め、本人もプロ表明をする。ドラフトにおいて阪神タイガース入りが内定した後、その選手権本戦では3試合に登板1勝1Sと如何なく力を発揮するが、またも決勝において延長15回表にJFE西日本の福竹選手に左中間に決勝打となる本塁打を運ばれ負け投手となった。
準決勝での対シダックス戦(完投勝利)では、巨人入りの決まっていた野間口投手との対戦がマスコミの注目を集めた。
打者の膝元に食い込むスライダーが決め球。キレで勝負するタイプ。軽いのが難点だと思われ。

即戦力ルーキーとして期待のかかる左腕です。

自分が能見投手を知って応援するようになったきっかけは、2003年11月30日の日本選手権決勝のマウンドでした。
この年は社会人野球に興味を持ちはじめた頃で、ネットで試合結果を見たりなどで観戦に出かけるという事はまだ無かったのですが、ちょうど家でも見られるCS放送チャンネルのGAORAが都市対抗野球大会とこの日本選手権大会の一部(準々決勝より)を放送しており、見合わせる事ができました。(都市対抗も夏にテレビで観戦して、ますます社会人野球への興味が募ったきっかけの一つでした。)
決勝戦は大阪ガスvs日産自動車の対決でした。とても安直なのですが、自分にとって甲子園でのヒーローであった牧野選手(上宮高ー近大)が所属するチームだから、と大阪ガスを応援しておりました。
そんな中、5回に大阪ガスが5-4と勝ち越しを決めてその裏に能見投手がマウンドにあがりました。
結構なんとなく見ているところもあったのですが、能見投手の強気のピッチングに一気に持って行かれて、何故だかこの時とてつもなく感動してしまいました。投球を見ていて、すっごいかっこいい、と強烈な印象を受けました。
8回裏に日産自動車の岩越選手に同点の本塁打を打たれ、延長戦になり11回裏に伊藤選手にさよならを決められて負け投手となってしまうのですが、同点になった後も打者に向かって行く強気のピッチングがとても印象的で、三振を奪った時など自分にとっては正に目を離せないピッチング、そんな風に感じてました。もうね、何このピッチャー!?誰!?って感じでした。
能見投手があまりに強烈な印象だった事もあってか、blogの名前も変えてしまって勝手に応援するようになりました。

04年、一番記憶に残るのは又も日本選手権での試合です。
決勝戦は大阪ガスvsJFE西日本の対決。試合結果は延長15回の末、0-1のスコアでJFE西日本が合併後2年で初優勝。
この時、決勝打となる本塁打をJFE西日本の福竹選手に打たれたのは能見投手でした。坂本投手ー山田投手の後を継いで10回途中より3番手としてマウンドに上がってました。2年連続決勝戦において、決勝打を打たれ負け投手になりました。
前日と合わせて205球。
本当に本当に悔しかったと思います。
報われなかったとも言えるかもしれないけど、けど自分はそうは思いません。
悔しかったからこその、1球の重みを噛み締めて、新たなプロの世界で誰にも負けない投手になってほしいと思ってます。
選手権後阪神タイガースに入団しましたが、ファンから信頼され愛される投手になってほしいな、と思ってます。
7年間、社会人野球というフィールドで活動して、活躍する事ができたのはほんの1年程。03年に監督から「壊れてもいいじゃないか」と言われ、吹っ切れていった事。
それまでの間の苦労や気持ちはもちろん知る由もないし、勝手に推し量る事しか出来ないし、誰にも分からない事だけど、7年目でのプロ入りはとても嬉しいだろうと思います。
まだプロへの道が開けたばかりだけど、自分のペースを守って本人の抱負通りファンを感動させるようなピッチングを期待してます。よって!
という感じです。


posted by しけたろう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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