2006年07月31日

みんなの選手名鑑2006(暫定版)

プロ野球も気付けば後半戦。
昨年まではよく知らなかったのに
今年、新たにあなたの心を捉えた選手もいるはずですよね?
せっかくなので、他の皆さんに紹介しちゃいましょうよ!

みんなの選手名鑑のコンセプトは2005と同じく
「野球ファンが自分のひいき選手を思いいれたっぷりに紹介している選手名鑑」です。

とりあえず寄せられたいくつかのTBをまとめてみました。
青葉的名鑑2006年版−松村豊司@SU
フレッシュオールスター出場を記念して
「サーパスの背番号41、松村豊司」を紹介しています
東出 輝裕をとりあげたいがために、企画したのかもしれん…。
まさかのオールスター監督推薦出場(そしてしっかり、やらかした・汗)
「カープファンの注目を集める背番号2:東出輝裕」を紹介しています
誰かのためだけにしか打てない男
「阪神の鍵を握る・背番号7 今岡誠」を紹介しています

(しけたろうHCがまず企画された時)4月付けですでに頂いていたもの
燕の新人・飯原誉士について
フレッシュオールスターで大活躍した姿を見た方もいらっしゃいますよね
「東京ヤクルト・背番号46飯原 誉士」の紹介記事です。
しまった…こちらの記事を(例)としてまず取り上げておけば良かった…と
フレッシュオールスター終わってから痛感しました(とほほほほ)

移籍した選手などもたくさんいますし
まだまだ投稿お待ちしております。


募集要項はこちら
posted by (まめ)たぬき at 08:52| Comment(1) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月28日

選手名鑑の記事を募集します

これは当ブログ開設オープニング企画です。
この選手名鑑のコンセプトは

「野球ファンが自分のひいき選手を思いいれたっぷりに紹介している選手名鑑」です

要するに、既存の選手名鑑は中立的で無味乾燥なことが多いですね。
そうではなくて、
「あなたの熱さでその選手を知らなかった人もファンになってしまう」
そんな選手紹介記事を募集したいと思うのです。

そんな記事があつまったサイトってさぞかし壮観だろうな〜というそういう願望から思いついた企画。

募集要項

1.いわゆる選手名鑑的データでももちろんOKですが、
難しく考えず「この選手はこんな選手!」ということで十分です。
できれば「私がこの選手を好きな理由、好きになったエピソード」を盛り込んでいただきたいと思います。

2.とりあえず、ご自分のブログで紹介記事を書いていただいてこちらの記事にTBしてください。

3.あなたの書いた記事をコピペして、こちらの「選手名鑑」の記事としてエントリーさせていただきます。もちろん、テキスト執筆者を紹介し、元記事ブログにはリンクさせていただきます。

4.1選手に複数の記事が集まった場合は1記事だけ選んでエントリーさせていただき、選に漏れた方もリンクという形で紹介したいと思います。
(短いものが多い場合は全て紹介という場合もあり)

5.TB機能のない日記や自分のサイトを持ってない方などは、(この記事の)コメント欄にリンクを貼り付けたり、メールでの参加など手段を問わず参加してください。
メールアドレス:cktaro420@yahoo.co.jp

6.昨シーズンの成績や背番号など基本データはこちらに転載する際つけたいと思いますので、無理に入れなくても結構です。

7.お気に入りの画像があるのだという方は指定してください。
著作権にかかわりますので、カネシゲ監督のイラストで対応します。(予定)
他にもイラスト提供できる方がいらしたら歓迎です。

8.当然、一人何人書いても結構です。マイナー選手を特にお願いしたい。
(文章の)長さはとりあえず、決めません。
短くてもいいので、「好きな選手をどんどん紹介する」というスタイルで。

9.とりあえずの締め切りを2月27日(日)いっぱいとさせていただきたいと思います。
締め切り以降は、すでに紹介記事のある選手の紹介は原則キャンセルとし、紹介記事のない選手については早いもの順でということにしたいと思います。

10.過去記事で紹介に使えそうなのがあるという方もおられると思われます。
一応、「選手名鑑仕様」に手を加えられた上で、応募してください。
手を加えるのが面倒な方は、選手名鑑立ち上げ後、TBやリンクなどで紹介するという形もあります。

11.対象は12球団の現役選手とMLB日本人選手です。

よろしくお願いします。
posted by しけたろう at 00:00| Comment(43) | TrackBack(83) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月27日

「選手名鑑」フォローのための用語講座<緊急版>

みなさん、「選手名鑑」に多くの記事を寄せていただきありがとうございます。
これを書いてる段階で40名近い選手の選手名鑑になりそうです。
ありがとうございます。

記事を寄せていただいた方の中には、
「初心者のため・・」だったハズだが、これで伝わるだろうか?という不安をお持ちのかた。
初心者で記事を読まれた方の中には
「さっぱり分からん」というかたがおられるのでは・・ということで、この記事を立てておきます。

ようするにこの記事は
1.「選手名鑑」に寄稿した人が、自分の記事の中で使った「野球用語」を自主的にフォローしておく。
2.「選手名鑑」を読んで分からないところがあった場合、気軽に質問してもらう。


以上の用途で使って頂きたいのです。

質疑応答はすべて、この記事のコメント欄内で行います。
ここでフォローされた内容は「選手名鑑」本編のほうにも(注)として足します。

よろしくお願いします。
posted by しけたろう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

管理人が「選手名鑑」のサンプルを作りました。

こんばんは。管理人のしけたろうです。
突然、このようなブログがドトーの展開で誕生しました。
2月21日の午前7時ごろのことです。
これからよろしくお願いします。

さて、現在当ブログではオープニング企画ということで、みなさまから選手名鑑記事を募っております。
みなさまがひいきにされている選手を紹介する・・というテイで自由に書いていただきたいのです。

「自由に」といわれるほど書きにくいというモノもないかと思いまして、管理人の私が2つほど「例」として書いてみました。
もちろん、これに縛られる必要も全くございません。

私はヤクルトファンですので、「藤井投手」と「宮出選手」で書いてみました。

藤井投手
http://siketa6.seesaa.net/article/2068904.html

この文章は過去に書いた日記(03年5月)に最近の状況を付け足した・・
というものです。

過去に書いたものを利用していただいて結構ですが、最近の話題も付け加えるなどしていただきたい。ということです。

宮出選手の分は0から書いてます。

宮出選手
http://siketa6.seesaa.net/article/2069154.html

こんな感じです。

ま、難しく考えずに気楽に協力していただけたらなと思っています。
よろしくお願いします。


posted by しけたろう at 21:40| Comment(4) | TrackBack(3) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月25日

選手名鑑・途中経過

とりあえずの締め切りまであと3日を切りました・・
ので、一応、25日0:00現在送られてきている選手を紹介します。

楽天 礒部公一、吉田豊彦
西武 高木浩之
ソフ 
日ハム 稲葉篤紀、石本努
ロッテ 寺本四郎
オリ 北川博敏

中日
ヤク 藤井秀悟、宮出隆自(HC)
巨人
阪神 スペンサー 赤星憲広 関本健太郎(監督)
広島
横浜

引退
池山隆寛、伊藤智仁

チーム紹介はまだどこも来ていません。

引退選手は「とりあえず」受け付けたもので、(まだ)募集はしていないのでよろしくお願いします。

自分も過去記事を見てみましたが、意外に選手についてじっくり書くというのはやってないものだな〜と思いました。
特にブログにしてから(その前はライコス→楽天)、毎日の勝敗の勝敗に追われている記事が多くなってますね。
それでも、数件ありましたけど。

自分がマイナー選手推奨したというのもありますが、もう少し、主力級の応募が欲しいかなと。これから書くという人はそちらもお願いします。
あと、やっぱり懸念されるのはGですね。
ブログ界では少数派と噂されているG党の人、よろしくお願いします。
posted by しけたろう at 00:21| Comment(5) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月29日

みんなの選手名鑑・目次

この『みんなの選手名鑑』は
「野球ファンが自分のひいき選手を思いいれたっぷりに紹介している選手名鑑」
をコンセプトにしています。

このページでは、各球団
投手→捕手→内野手→外野手の順に背番号順に並んでいます。

<パシフィック・リーグ>

東北楽天ゴールデンイーグルス
21 岩隈久志 楽天のエース。
49 吉田豊彦 頼れるベテラン左腕セットアッパー
0 酒井忠晴 守備はうまい。 
8 礒部公一 新生・楽天の初代主将
33 平石洋介 エリート街道歩んだ新人で、即戦力の期待。

西武ライオンズ 
21 石井貴 気合の投球
4 高木浩之 連覇に不可欠な内野の要。
46 GG佐藤 マッチョ

福岡ソフトバンクホークス
66 斉藤和巳 「真のエース」へ正念場
 
北海道日本ハムファイターズ
25 立石尚行 先発に、中継ぎに・・投手陣をカゲで支える
1 SHINJO(新庄剛志) メジャー帰りのスター
7 坪井智哉 日ハムで輝きを取り戻した!ミドレンジャー。
37 石本努 しぶとさが魅力の中堅外野手。モモレンジャー。
58 稲葉篤紀 メジャー断念。日ハムで心機一転。 

千葉ロッテマリーンズ
31 渡辺俊介 本格サブマリン(アンダースロー)
6 初芝清 最もマリーンズファンに愛される男(H5)
6 初芝清 最もマリーンズファンに愛される男(薫友)
32 澤井良輔 未完の大器?
00 代田建紀 復活した韋駄天。
23 大塚明 ケガさえなければ・・ 
61 寺本四郎 高校時代はスター。打者転向4年。

オリックス・バファローズ
41 松村豊司 知られざるイケメン長身右腕。
23 北川博敏 いつもニコニコ、新生・バファローズの元気者。
50 大西宏明 成長期待の有望若手。
63 吉良俊則 未来のクリーンアップ候補。

<セントラル・リーグ>

中日ドラゴンズ
49 マルティネス 新外国人。長身左腕。 
37 小山良男 高校時代は松坂(西)と全国制覇。大学、社会人を経て今年入団。
0 高橋光信 出塁率の高い代打男。
5 渡辺博幸 Gグラブ一塁手。
6 井端弘和 日本一の「二番・ショート」に。
7 川相昌弘 40歳のバント職人。それだけではない。
1 福留孝介 竜の主砲
9 井上一樹 日本シリーズで大活躍のラッキーボーイ(ベテラン)
58 ホッシャ 日系ブラジル人。瀬間仲から登録名変更。

ヤクルト・スワローズ
18 藤井秀悟 ケガから真の復活を。 
27 古田敦也 闘う選手会長。
1 岩村明憲 燕の主砲。
5 土橋勝征 いぶし銀。
43 宮出隆自 190センチの和製大砲候補。

読売ジャイアンツ
19 上原浩治 Gのエース。
26 内海哲也 2年目。1軍定着ねらう。
31 西山秀二 広島から移籍。ベテラン捕手。
5 清原和博 500本塁打まであと8本。
7 二岡智宏 打って守れる遊撃手。

阪神タイガース
14 能見篤史 新人左腕。即戦力期待。
25 前川勝彦 今年はやる?
3 関本健太郎 右打ち大好き。
5 沖原佳典 アマでシドニー五輪経験。
32 久慈照嘉 守備は堅いベテラン。169センチ。
24 桧山進次郎 トラのチームリーダー
31 濱中おさむ 将来の主砲・・のはず。ケガからの復活に期待
41 スペンサー ヤンキース育ちの新外国人。 
53 赤星憲広 4年連続ダントツの盗塁王。   

広島東洋カープ 
20 永川勝浩 本来は抑え投手。
28 広池浩司 中継ぎ左腕
48 天野浩一 中継ぎエース?
63 鈴衛祐規 
10 比嘉寿光 大型内野手。
25 新井貴浩 「ミスター赤ヘル」になるべき男
1 前田智徳 侍。というか求道者のイメージ。
33 鞘師智也 
55 嶋重宣 赤ゴジラ。

横浜ベイスターズ
16 川村丈夫 中継ぎとして復調傾向。
22 佐々木主浩 大魔神
60 飯田龍一郎 
10 佐伯貴弘 ハマの男前。ムードメーカーでチームリーダー。
1 金城龍彦 スイッチヒッターの野生児。




選手名鑑記事、さらに募集中です
できれば、まだ書かれていない選手を書いてください。

一応、こういう感じになりました。
チームごとに「一発表示」できれば一番いいですけど、
「カテゴリー12増やすのもなー」と思案中です。
この選手名鑑の目次どおりに並べますので
それで対応してください。



posted by しけたろう at 09:00| Comment(1) | TrackBack(1) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月12日

21 岩隈久志

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岩隈久志

東北楽天ゴールデンイーグルス 21
投手 24歳 右投右打
189センチ 74キロ
15勝2敗0S防3.01試21
<42勝21敗0S防3.47試80>


1981年4月12日生まれ、東京都出身。投手。
堀越高校とはいっても芸能人ではない。

野球が好きで好きで。
ドラフト5位で、ファンだったライオンズではない、実家のある東京から遠く離れた大阪の球団に高校を卒業したばかりの10代の男の子が飛び込んだ。
二年目の2001年。初めて一軍で完投勝利したとき、「二軍ででも完投なんてしたことなかった」 とはにかんでヒーローインタビューに答えていた、背は高いけどものすごく細い折れそうな身体のスタミナもない20歳の男の子。
頑張って頑張って、2003年には11完投。
あの細い体のどこにそんなスタミナが宿ったのか。
たった四年で、ドラフト5位の痩せた男の子は猛牛軍団のエースと呼ばれるようになった。

多くの高卒選手がそうであるようにもともと好きで来たチームじゃなかったはずだ。

しかし2004年そのチームが消滅しそうになった時、
「自分が頑張って、もっとチームが勝てば合併が撤回してもらえるかもしれない」
そう思って投げ続けた。
真夏の直射日光の中、汗を流しながら署名活動もした。
本当に調子が良かったのは合併が発表された6月くらいまでで、その後は綱渡りのような調子の中勝ち続けた。
ライオンズファンの東京っ子がいつのまにかこの大阪のバファローズというチームを
自分のふるさとだと思うようになっていたのだ。

この6カ月間野球をやってきてつらかった───

好きでやっている筈の野球。
それなのに、その野球をやっていてつらかったと。
初めて皆の前でそう言った。

思い出す。
開幕からの連勝を続けた時、ヒーローインタビューで言ったことを。
「これからも投げる試合は全部勝ち続けたい。勝ちつづけるつもりで投げます」
負けるつもりで投げる投手などいない。
それでも彼の言葉の裏には、
「勝ち続ければチームが残る道がひらけるかもしれないから、勝ち続けなければいけない」
という悲壮な決意が見える。

その結果、彼は開幕からの12連勝を含む15勝2敗で最多勝・最高勝率を勝ち取った。
最優秀投手賞、ベストナインにも輝いた。
一番勝ち取りたかった筈のものは、勝ち取ることはできなかったけれど───。

彼はその後も「合併球団」への入団を拒み、戦いつづけた。
我侭と言われたことも、いいかげんに折れろと言われたこともあるだろう。
それでも、柔和な物腰の下に隠された強い意志を貫いた。
「約束」を守ってもらわなければ彼の2004年は終わらない。

2005年、晴れやかな笑顔でマウンドに登る彼の姿がある。
真新しい臙脂のユニフォーム。
違和感のあったその姿も遠からず目に馴染んでいくだろう。

あのひょろひょろと痩せた男の子は、
仙台の地で本物の「エース」になろうとしている。
胸に、猛牛軍団の最後のエースと呼ばれた誇りを抱いて。


text by さいん
day by day
posted by しけたろう at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

49 吉田豊彦

吉田豊彦
東北楽天イーグルス 49
投手 39歳 左投げ左打ち
174センチ79キロ
3勝6敗4S防4.15試56
<78勝99敗15S防4.39試512>
 


☆吉田 豊彦(よしだ とよひこ)
東北楽天ゴールデンイーグルス・投手。背番号49。
1966年9月4日、大分県出身。おとめ座のA型。

大分県立国東高校−本田技研熊本−南海・ダイエー−阪神−近鉄を経て
2005年から新生・楽天イーグルスの一員に。
高校2年生のときに大分県大会決勝で敗れるなど甲子園の経験はなし。
社会人時代はニコニコドーの補強選手として都市対抗1回出場。
南海最後のドラフト1位・ダイエー創成期を支えた左腕エース。
阪神では中継ぎ・谷間の先発、近鉄では鉄腕セットアッパーとして大活躍。
なのにプロ17年でAクラス経験はたったの2回。

もちろん野球狂の私が入団時から豊彦さんの顔と名前を知ってたことは言うまでもないので、
こんなにハマった理由というかエピソードを語らせていただきます。

その1:NHKにんげんドキュメント「二軍」
豊彦さんが阪神にトレードされる直前の1998年5月に放映された、ダイエーの石毛宏典二軍監督(現IBLJ代表)を中心にファームの選手たちを取材したドキュメンタリー番組。
この中で二軍で調整する豊彦さんが出ていました。
もう30歳過ぎていましたが、二軍の選手に混じって黙々と野球に明け暮れる豊彦さん。それが妙に印象に残っていて…。
番組の最後にトレードが決まって、石毛監督が「トヨが阪神に行くことになったから」とみんなに報告していたシーンは忘れられません。

そこから気になる選手のひとりとして「吉田豊彦」の名前が私の心にインプットされました。

その2:吉田豊彦公式サイト
近鉄移籍2年目の2003年4月に開設された豊彦さんの公式サイト。
豊彦さんが登板のたびにコメントを寄せて、管理人さんが夜中だろうがなんだろうが速攻でアップしてくれます。
ブログ形式以外では球界一更新が早いかも。
ぶっちゃけ、見た目はアゴヒゲをたくわえてるコワモテ(=とよく記事になってます…)だしマウンドでは堂々と落ち着き払って見える豊彦さんですが、コメントはすごく正直だし赤裸々過ぎてこっちが心配になってしまうぐらいなときもあったりして…。

小柄(公式発表174センチ=鯖読み、だそうです)ながら
140km/h台中盤のストレートを中心にグイグイ押しまくるピッチングと誠実な人柄が私のハートをわしづかみにしています。
南海−ダイエーのころは細かったんですけどね。
阪神に入ってからウエートとかで身体をつくりなおしたみたいです。
これぞピッチャー!!っていう感じの、理想的な美しさを誇るピッチングフォームも大好きです。


とにかく優勝したい、勝ちたい思いは人一倍。
イーグルスの背番号49のサウスポーをよろしくお願いいたします。

text by ナショ坊
N−diary

posted by しけたろう at 19:00| Comment(0) | TrackBack(1) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

0 酒井忠晴

酒井忠晴
東北楽天ゴールデンイーグルス 0
内野手 35歳 右投右打
176センチ 75キロ
W率0.219本0点5試36
<率0.247本8点150試922>


私が愛した2001年前後の千葉ロッテで、最も好きだった選手。当時の(そしておそらく現在も)セカンドでこの人の守備を超えた選手を私は知りません。

1969年に修徳高からドラフト5位で中日入り、「守備の人」高木守道が監督になった1992年からショートの種田(現横浜ベイスターズ)の控えとして起用し始め、1軍に定着します。しかし1996年、高木とは犬猿の仲の星野仙一監督が政権を握ると高木派は駆逐されます。そのとき、中日の「酒井忠晴・仁村徹・山本保司」と千葉ロッテの「樋口一紀・平沼定晴・前田幸長(現在読売ジャイアンツの中継ぎ)」による大型トレードで千葉ロッテに飛ばされます。

1999年から現読売ジャイアンツヘッドコーチの山本功児が千葉ロッテの監督に就任。この人は「ベテランを重宝する」ことで有名ですが、それと共に「若手に不必要なまでにコンバート(守備位置変更)を強要する」というものがあります。この監督1年目にどうしても打率が3割に届かない福浦和也一塁手(後に2001年に首位打者になり、その後4年連続3割打者)を外野に回し、サードの初芝清を一塁手としてコンバートするという暴挙に出ます。その結果空いた三塁に酒井さんが入ることとなります。そこでレギュラーの座を得るものの、翌年2000年にトレードで巨人から本塁打王も経験した石井浩郎一塁手が入団、これで初芝がサードに戻りました。もっとも、結果的には石井は度重なる怪我*1のため度々2軍行きか代打としてベンチ入りするかの生活。ただ福浦の打撃の好調&外野守備が怖ろしいものだったためファーストに福浦が入りましたが。

しかしそれに呼応するかのように、千葉ロッテの不動のセカンド・堀幸一内野手が不調、結果的にセカンドの座を得ることになります。その翌年、コンバート好きの山本監督は若手のサブロー外野手*2をセカンドにコンバートするという暴挙にでるも、結局不調でアウト。2000年には91試合、2001年には107試合、セカンドとして試合に出場します。

とにかくこの人の持ち味は神業としか言いようがない守備。バックトスや逆シングルなどの技も見どころですが、それ以上に素晴らしいのは「捕る」から「投げる」までのスムーズさ。この人の特徴のひとつに「打球を正面から捕らない」があります。「正面で安全に捕球する」より「素早く送球できる体勢で捕球する」ことを重要視するため、エラーが多いもののゴールデングロブ賞の常連であった小坂誠遊撃手とともに信じられないダブルプレーを何度も見せてくれました。この頃、東京ドームで千葉ロッテマリーンズ対日本ハムファイターズ戦を観戦すると「ランナーが一塁」「一二塁間にゴロ」「それを酒井さんが捕球」「普通なら2塁への送球が間に合わないため1塁に投げるところを神業レベルの早さの送球で2塁へ」「小坂が2塁上で捕球してワンナウト」「1塁に送球してツーアウト」「紙一重のタイミングのゲッツーのため、瞬間湯沸かし器の日ハムの大島監督(当時)が顔を真っ赤にして抗議に出てくる」という一連の流れ(審判にキレる大島監督まで)をよく見ることがありました。本当、この小坂-酒井の二遊間は当時のパリーグ一(いや、12球団一)の強固さで、当時編成を担当していた園川一美(元千葉ロッテのエース)が「うちの球団防御率をこの2人が1点下げている」と言わしめ、当時の先発投手陣たちから「後ろには2人の忍者がいますから」と抜群の信頼を得ていました。

1998年にチームで一緒だったフリオ・フランコ選手に(メジャーでも首位打者になった「本物のメジャーリーガー」。第1次バレンタイン政権の1995年と1998年に千葉ロッテに在籍。なんと今年も46歳でメジャーリーガー。そもそもこの人年齢詐称疑惑があり、数年おきにどさっと年齢が増えます(笑)。))「(守備は)メジャー級だよ!」と言わしめたほど。そのため、一時期一部の千葉ロッテファンから「メジャー級」の愛称で親しまれていました。その後私生活でも離婚を体験し「名実ともにメジャー級!」と言われたものです。現に1999〜2000年の千葉ロッテの守護神だったブライアン・ウォーレン投手*3の代理人がメジャーのスカウトに酒井さんを紹介した程。ただ、酒井さんは年齢を理由に断ってます。もしも断っていなかったら日本人野手初のメジャーリーガーは酒井さんだったかも……!?

そしてこの人の不思議さは、2000年あたりから着実にレベルアップしていった打撃。当時の千葉ロッテは3番福浦・4番ボーリック・5番D.メイ以外ではまず点が取れない(というかヒットを打ってくれない)打線で、現在も続く1番打者不足が叫ばれていました。そんな中、9番打者を任される酒井さんはシーズン中なら2割9分の打率を維持しているときがあり、千葉マリンスタジアムでバックネット裏の電光掲示板で彼の打率が提示される度、「どうしてほぼ3割打者が9番に!?」とファンを困惑させていました。これがくせもの。この人、打順が頭の方に来ると打率が下がるんですよ……。

2003年に古巣中日へ移籍するもオープン戦で怪我をして2軍行き、たまに1軍にあがったらいきなりエラー(あれは長らく千葉ロッテで応援してきたものとしてはショックでした…)、そして2004年には巨人から守備職人・川相さんが移籍。結果、2005年には東北楽天ゴールデンイーグルスへ無償トレードされました。是非とも東北の地で、あの神の御技を再び披露して頂きたいものです。

*1:主に「肉離れ」、そのため当時千葉ロッテファンの間では通称「肉離れ」でした。
*2:本名・大村三郎。当時は大村巌という外野手兼代打の切り札がいたため登録名を変更。奥さんは元アイドルの中嶋美智代。
*3:2000年にはボールをヤスリで削った不正投球疑惑があり、乱闘やら中指立てたりやらで大暴走。当時、ウォーレンへの応援は「こすってこすって!」



posted by しけたろう at 12:15| Comment(2) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8 礒部公一


<画像募集中・楽天バージョン>

礒部公一
東北楽天ゴールデンイーグルス 8
外野手 31歳 右投げ左打ち
174センチ 76キロ
率0.309 本26 点75 試120
<率0.289 本72 点369 試916>


 2004年の近鉄・オリックス合併に端を発した球界再編問題で闘いに闘った選手会。
今や、野球を知らない人にもその会長・古田敦也選手の名前は知れ渡ったことだろう。
でも、ちょっとニュースを注意深く見ていた人なら、当該球団大阪近鉄バファローズの選手会長・礒部公一の名前や顔は覚えてくれたのではないかと思う。

何度も何度も流れる、「バファローズというチームは無くなりますが、僕たちのこの近鉄への愛着や誇りは決して消えません」の映像。
二度と見たくもない、礒部の涙の映像。(つーか今日も見たすぽるとで。2/22)

礒部公一、昭和48年生まれ。同年代(昭和48年会)には同じ近鉄の中村紀洋やロッテの黒木、日ハム小笠原、ソフトバンク松中など現在の球界を代表する選手たちが勢ぞろいしている。

私が近鉄バファローズのファンになったのは1997年。藤井寺から大阪ドームに本拠地を移したその年、その大阪ドームで私はバファローズに出会った。
奇しくも礒部はその年の新人選手だった。(ちなみに同期入団に現パドレス大塚、現阪神前川など)
ゆえに、私は礒部入団時のエピソードを後から知ることになる。
当時、礒部はオリックスブルーウェーブへの入団を希望していたという。
イチローを擁し、2年連続のリーグ優勝・それから日本一に輝いた年のドラフトにかかったのだから無理もない話しで、その礒部を当時の佐々木恭介監督が
ヘリで説得に行ったとか(笑)。
近鉄になんか行きたくない、オリックスに行きたいと最後までゴネていたのが礒部だったのだそうだ。
広島の子のくせに広島カープに行きたいわけじゃなかったのか、というツッコミは不要。

さて前年までのバファローズを知らなかった私にとっては、どの選手も新しいわけで。
礒部が新人だなんてまるで知らずにいた。
この年のオフのファン感謝デーの後に、ショップバフィで選手のサイン会が催されるというので私とあちゅはそこへ足を運んだ。
多分この時まで私は礒部の顔もちゃんとは覚えていなかったように思う。
並んでいたのは吉岡、武藤、礒部の3人だった。

吉岡も武藤もかっこよかったんだけど、私はその時に礒部のファンになった。
その時もらったサインは私の白レプリカユニの背中に今も背番号22のまま輝いている。

子供が初めてサインをもらった選手のファンになるというのはよく聞く話だが、私もまさしくそのパターンだったわけで。ミーハーで単純極まりない理由だったのだ。

捕手として入団した礒部。
打撃が良かったので外野にコンバートされたりもしていたが2000年までは「捕手」で登録されていたのではないかと思う。
2001年に入る時、かつて近鉄の正捕手だった梨田監督は自分のつけていた「背番号8」を礒部につけさせ、捕手として育てると高らかに宣言していた。

…が。

捕手として出場したオープン戦、守備どころか打撃もめちゃくちゃになってしまった。
結局、開幕を目前に梨田監督は礒部を捕手として使うことを諦め、改めて外野手として使うことに。
それがその年、ランナーが得点圏=二塁や三塁にランナーがいる場合の打率:得点圏打率が12球団いち!という好成績を残したんだからわからないもんである。単に梨田監督の眼力がズレていたのかも
ただしこの年の日本一を決めるヤクルトとの日本シリーズで、レギュラーシーズンとは別人のように全く打てずにヤクルトの日本一に貢献してしまった。(似た例で中日関川・西武和田などがある…)
しかも翌年2002年にはそのショックを年間通じて引きずったのだかどうだか、散々な成績だった。
そんなナイーブな一面もあるのだ(?)

2004年、前年までの任期だった水口栄二のあとを引き継ぎ選手会長に就任。
再編問題が起こったときに、
「なんで俺の時にそんな事になるねん…」
と正直ウンザリしたそうだ。正直だ(笑)。
でも多くの方がご存知の通り、礒部は最後まで全力で戦った。
試合前の署名に立った日は普段よりよく打ったりもした。
明るいキャラクターだとは思ってたけどあんなにリーダーシップのある人だとはファンの癖に知らなかった。

ライトの守備位置に定着した頃はまだ客席からかかる声援に応えることもあまりなくて、「礒部はあんまり愛想がないなぁ」と言われてたけど。いつの間にか声をかけると振り返って笑って手を振り返してくれたりするようになって。それがすごく嬉しかったよ。

今年から、東北楽天ゴールデンイーグルスの一員になった礒部。
去年みたいにグラウンド外のことに煩わされることなく、プレーに集中できる。キャンプの映像で、笑顔の礒部の映像を見ると本当に嬉しい。

とりあえず私は、礒部についていくことにする。
礒部が選んだチームを応援しようかと思っている。

楽天イーグルスの試合を見る機会があったら一場投手や岩隈投手ばかりじゃなく、背番号「8」のやたら目のでっかい選手・礒部公一がはつらつとプレーしているかどうかも見て下さい。

あ、最後によく間違えられるんで強調しておきます。

磯部、じゃなくて部。よろしく。黒ハート


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33 平石洋介

平石洋介
東北楽天ゴールデンイーグルス 33
外野手 25歳 左投左打 
175センチ 76キロ
新人


楽天の新人、平石選手。
いきなりプロとしての経験のない選手を紹介するのですが、
この選手を紹介しようと思ったのは、訳があります。

まず、
この選手のプロフィールなどを、公式ページで確認しましょう。

平石洋介「走・攻・守すべての面で状況に応じたプレー。それが自分らしさ」

で、平石選手を紹介しようと思った理由が、
次の試合の話なんです。

1997年(平成10年)、夏の甲子園高校野球での
横浜高校 対 PL学園の試合
野球というスポーツの面白さが詰ったものだった
んじゃないかなぁって思っています。
私は、生で見る事はできなかったのですが、
後日、この試合を特集した番組を繰り返し見て
この試合の「すごさ」に感じ入ったのですが・・・

その番組で、最も印象に残る選手の一人だったのが、
この平石選手。
(まぁそれは、番組自体が
 「怪物松坂擁する最強横浜にPLがいかに立ち向かったか」
 という作りになっていた事も大きいでしょうけど。)
PL学園のキャプテンだった彼は、
しかし、スタメンで出場しない、控え選手でした。
こう書くと、
実力がないけど人望があってベンチ入りした選手
のように思われるかもしれません。
しかし、そうではなく、
彼は当時のチームに不可欠の選手であり、
この試合でもキーマンとなった一人でした。

試合は序盤、PLが松坂投手を打ち込んで得点し、
試合の主導権を握ります。
怪物と呼ばれた好投手・松坂、調子も悪くない
のに、なぜこんなに打たれるのか?
横浜高校に動揺が広がります。

「球種がバレている・・・」

つまり、
松坂投手が次に、速球を投げるのか、変化球を投げるのか
それが、何らかの方法でPLの選手たちにわかっていて、
それで打たれてしまっている。
次に何を投げるか、が分かっていると、
それだけ打たれる確率が上がってしまいますので、
ピッチャーは、それが分からないように
細心の注意を払っているのです。
それなのに、何故?

それを見破っていたのが、三塁コーチャーボックスに居た
平石選手でした。
(三塁コーチャーとは、三塁近くのファールグラウンドに居て
 走者や打者に指示を送る役割です。
 三塁コーチャーボックスとは、そのための場所の事です。)
平石選手は、松坂投手の次に投げる球種を
「細心の注意を払っている」ピッチャーからではなく、
キャッチャーの構えから見破っていたのです。

その番組では、もう一つ
平石選手の特徴を物語るエピソードがあります。
延長戦になり、PLは初めて勝ち越されます。
この回、点を入れないと負けてしまう場面、
ツーアウトで2塁ランナーとして平石選手が立っていました。
ヒットが出て平石選手がホームインすると同点、
しかしアウトになると負け。
バッターにはプレッシャーのかかる場面です。
緊張しているバッターの様子を見た平石選手は
タイムを取って、靴ひもを結びなおします。
ここで間を取った事で、自分を取り戻したバッターは
見事、ヒットを打って同点とし、
さらに試合は続いたのでした。
(この場面のバッターが大西選手だったそうですね。)

このように、
平石選手は、非常に頭脳的なプレーのできる選手として
期待されています。
試合の流れをしっかりと見て、
チームの為に必要な「プレー」をする事ができる選手。
時にはチームの頭脳としても働くことができる選手。
こういう選手がレギュラーを取ると、
他の選手も生きてくる、と思います。
「チーム」としては、できたばかりで土台のない楽天イーグルス。
それだけに
平石選手のような「クレバー」な選手が活躍する事で、
より良いチームになるんじゃないかって思うんです。

また、
楽天は彼を「イケメン」として売り出そうという意図もあるようで。

平石洋介外野手 “大人”なイケメンルーキーは打撃でも“マスク”でも観衆を魅了する

イケメンで、クレバーで、キャプテンシーのある選手
と言えば、
ちょうどサッカーで言えば、
ガンバ大阪の宮本選手
(ワールドカップでフェイスガードをして「バットマン」と呼ばれた選手)
を思い浮かべて頂ければ良いのかもしれません。
宮本選手のように、平石選手も、
日本を代表する選手に成長して欲しいと思います。

(それに、
 仮に選手として大成しなくても、
 指導者としては見込めそうですよね。
 楽天は、彼を大事に育てて欲しいです。)



text by めたか
at most countable
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2004年12月11日

4 高木浩之

<画像募集中>

高木浩之
西武ライオンズ 4
内野手 33歳 右投右打
172センチ 68キロ
率0.254本2点28試103
<率0.252本9点168試869>


1972年10月14日生まれ。享栄高校を卒業後、駒沢大を経て1994年のドラフトで西武に4位指名される。以来西武一筋。

ポジションは内野手で、基本的に二塁手。

西武黄金期にセカンドを守った辻発彦選手がヤクルトに移籍後、チャンスが回ってくるようになり、1997年の優勝時に1は07試合に出場しほぼレギュラーに定着するかと思われたものの、二塁手の外国人の加入や、http://www.npb-bis.com/player/register/active/20904503.html ご覧のとおりの1年おきにしか結果を出せない面があり、なかなかレギュラーに定着し切れていません。

身長172cmとプロ野球選手としてはやや小柄。小柄な選手は脚が速い場合が多いため、以前は不勉強な解説者に俊足選手と呼ばれることも多かったのですが、実は別段俊足ではありません。最近は知名度も上がってきたためかそのような間違いは少なくなりました。あの実況パワフルプロ野球でも以前は俊足選手扱いされており、小柄な選手は脚が速いという思い込みはこの業界根強いものがありそうです。

小柄な上ぱっと見高校球児のような顔立ちをしていますが、その実あらくれものだらけの駒澤大学野球部のキャプテンを務めていたほどの人物であり、外見で判断するとその本質を見誤ります。

高木浩之選手の特筆すべき点はそのバットコントロールにあります。大体100打席あたり5〜7回ほどしか三振をしません。これはセパ両リーグ合わせてもトップクラスの三振の少なさです。日本に居たころのイチローと比べても遜色ありません。バットにボールを当てるのがとても上手いのです。と言っても打率は通算で.252で、別段高いものではありませんので、注意が必要です。

バットにボールに当てるのが上手すぎるためかボールになる球を打ってしまうことも多いようで、フォアボールは100打席あたり大体4〜6個くらいで、やや少ない部類に入ります。バットにボールを当てるのが上手すぎるのも考え物です。こういう状態を、選球眼がないとも言います。こういった選手にはヒットエンドランという作戦が良く合います。西武の監督が伊原さんという、ヒットエンドランが大好きな監督だった時には活躍しました。

ホームランはプロ野球入りしてから通算で9本と、あまり打ちませんが、野球はホームランや打率だけではないということを教えてくれるのが高木浩之選手といえるでしょう。

高木浩之選手は非常に堅実な守備をします。内野でもセカンドは守備の要とも言える重要なポジションです。高木選手はあまり冒険をしない着実な守備をします。ピッチャーとキャッチャーの作戦から打球が飛ぶ方向を予想し、打球の先へ待ち構えて捕球するということもしばしばありますが、際どい球へ飛び付いてキャッチという派手なプレーはあまりしないようです。このため、あまり目立つことはありませんが、本当に守備が上手いというのは本来際どくなる球を、先回りして何の苦もなくキャッチして見せることなのです。飛び付くよりも待ち構えて取った方がこぼすことなくしっかり捕球できるのですから。2002年には、守備の優秀な選手に贈られる、ゴールデングラブ賞も獲得しています。

派手さはありませんが打撃、守備ともに縁の下の力持ちと言える働きを見せるのがこの高木浩之選手です。スター選手がいて、そしてこういった選手がいて、はじめてチームは強くなれるのです。こういう選手がどういった働きを見せるのかに注目して試合を見るのも面白いものですよ。

text by れらしう
Don't forget 3.mar



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2004年12月09日

25 立石尚行

<画像募集中>
立石尚行

北海道日本ハムファイターズ 25
投手 35歳 右投右打
4勝3敗0S防3.55試28
<17勝16敗1S防4.74試142>


北海道日本ハムファイターズ所属の投手。右投右打。
1970年5月14日千葉県生まれのA型。

サッカーの強豪校でも知られる市立船橋高校では、甲子園出場を果たす。1989年にNTT関東に入社後も、徐々に頭角を現し94年頃には「エース」格として活躍をしていた模様。主に先発登板が多かったようである。
94年、95年には自チームで都市対抗出場を果たすも、なかなか勝利には結びつかない。96年には新日鐵君津、97年には川崎製鉄千葉に補強されて都市対抗出場。補強先では、先発も抑えもロングリリーフもこなす、現在のファイターズでの活躍を匂わせるような起用のされ方だった。

1997年7月25日、第68回都市対抗野球大会2回戦・川崎製鉄千葉−三菱自動車川崎戦。
川鉄がリードを許した状況の中、5回途中から3番手として登板した立石投手は、6イニングにも及ぶロングリリーフを4安打2失点と、強打三菱打線を抑える。この間に川鉄は着々と点を返し、遂には延長線にまで持ち込むことに成功する。立石投手は5−5の同点の場面で降板したが、川鉄は見事にサヨナラ勝ちを収める。この大会で川鉄千葉はベスト4まで進出し、立石投手も優秀選手に選ばれる。
翌1998年は3年ぶりに自チームで都市対抗出場を果たし、初戦の大阪ガス戦で先発するもリリーフ投手の自滅によりサヨナラ負けを喫する。しかし、秋の日本選手権大会は「NTT関東」としての最後の大会。この大会で優勝したい気持ちは強かったことだろう。決勝で日本生命を破り、優勝。優秀選手に選ばれる。
また、同年12月のバンコク・アジア大会で2勝を挙げ、銀メダル獲得にも貢献する。
この年にファイターズにドラフト3位で指名され、入団。入団時の年齢は28歳だった。

年齢的なこともあり、当然のように即戦力として期待される。が、キャンプで右足首捻挫、開幕前には右ひじを痛めるなどして出遅れる。初めての1軍は5月中旬のことだった。
プロ初勝利は99年5月23日の近鉄戦。上田監督(当時)の退場のアクシデントに見舞われながらも、先発5イニングをローズと中村ノリのソロホームランに抑えて、勝利投手となる。
2年目に9勝を挙げたことから、一時は先発ローテーション投手として期待されたようだが、現在の活躍は中継ぎだけにはとどまらない。慢性的に先発投手が不足しているチーム事情により、先発を務めることもあるし、またロングリリーフもこなす。
野球では投手が試合の展開を左右することが大きいが、数字に表れることがなくても、ファイターズの投手陣を陰ながら支えているのが、この立石投手の存在であろう。

なお、札幌発の食べ物「スープカレー」にも強い関心を示しており、自ら「スープカレー部」を立ち上げている。一般ファン枠で部員を募集していたら、入りたいところである。

posted by しけたろう at 22:35| Comment(1) | TrackBack(1) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1 SHINJO(新庄剛志)

shinjo.bmp

SHINJO
北海道日本ハムファイターズ 1
外野手 33歳 右投右打
181センチ 76キロ
率0.298本24点79試123
<率0.254本169点597試1177>


去年の今頃は、
帰国子女(って言い方おかしいか?)のSHINJO(北海道日ハム)がすごい人気だ。
でも、彼は人気だけでない。守備のうまさが半端ではないのだ。
何年か前、新庄が阪神の選手だった頃、甲子園の1塁側内野席から試合を見ていたことがある。右中間を抜けたあたりだと思ってると、なんと新庄がボールの正面にいるではないか。足が速くて追いつくというのなら、そんなに驚く事ではないが、どこに飛んでくるのか、あらかじめ予測できているのだ。
ただ、新庄は頭を超えたあたりへの対応は、イチロー(シアトルマリナーズ)、高橋由伸(巨人)には劣る。
外野の守備では、左右に強いSHINJO、強肩はイチロー、前後に強い高橋由といったところか。


なんて、書いてましたけど、初心者のために、SHINJOってこんな人です。

新庄が鮮烈なデビューをしたのは、1992年7年ぶりに優勝争いした年。
9月の甲子園での広島戦9回表外野へ抜けるかと思われた飛球をナイスキャッチ。
そして、その裏自らのサヨナラHRで決着をつける。
これでこの年はタイガース優勝と思ったが、結局失速し2位タイに終わった。

この頃からのファンだった。

その後、藤田監督との行き違いから「野球をやめる」って言ってみたり、
巨人せんだみつお槙原投手の敬遠球を打ってサヨナラ勝ちとか、
「あしたも勝つ!」といって勝ったためしがないとか、
いきなり、メジャーいったり、
目が離せない。
これからどんな活躍をしてくれるのか?
楽しみやで〜〜

text by スーパーサウスポーあさちゃん
阪神優勝、巨人最下位



posted by しけたろう at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7 坪井智哉

<画像募集中>

坪井智哉
(つぼい・ともちか)
外野手 31歳 右投左打
177センチ 79キロ
率0.284本11点43試89
<率0.297本30点196試664>


2004年9月20日。
 史上初のストライキが開けた札幌ドームに、ユニホーム姿のゴレンジャーが突如現れた。一斉にグランドへ飛び出して守備練習をする5人の姿に、4万人の観客が酔いしれた。
 この日ゴレンジャーを結成したのは北海道日本ハムファイターズの外野手5人だった。提案者はもちろんSHINJO選手。ストで迷惑をかけたファンにせめてものお詫びがしたい……その思いが残る4人を動かした。
 アカレンジャー、森本稀哲。アオレンジャー、島田一輝。キレンジャー、SHINJO(新庄剛志)。モモレンジャー、石本努。
 そして、ミドレンジャーを務めたのがここで紹介する選手、坪井智哉である。

 坪井は1974年2月19日に名古屋市で生まれた。名古屋と大阪で少年時代を過ごした後、PL学園高校に入学。甲子園出場は果たせなかったものの、選手として試合に出ることすら困難な強豪チームで主力選手として活躍した。
 卒業後は青山学院大学に進学。選手として3度のリーグ制覇を成し遂げたのみならず、1993年には大学選手権初出場初優勝も果たしている。さらに大学卒業後は社会人の東芝に入社、ここでは96年に日本選手権でベスト4に進出し、首位打者と社会人ベストナインのタイトルを獲得している。
 話がそれるが、現在坪井が打席に入る時には応援団によってファンファーレが演奏される。これには「♪PL〜、青学〜、東芝〜、(阪神!)」と続く歌詞がついており、演奏前には応援リーダーから「坪井選手の輝かしい人生を歌ってー!」という掛け声がかかることがある。
 これまでの話からすれば、応援リーダーの言う通り坪井が素晴らしい実績を収めたことは理解していただけるであろう。これまでの話では。
 しかし、ここで書いた歌詞の一番最後、日ハムファンが叫ぶ「阪神!」。ここで坪井が味わったのは栄光だけではなかった。

 1997年の秋、坪井は阪神タイガースに入団する。背番号は32。すると翌年にはいきなりレギュラーで大活躍。惜しくも新人王こそならなかったものの、一流打者の条件の1つとされる打率3割を突破したばかりか、新人選手としての最高打率の記録を打ち立てた。
 快進撃は翌年も続いた。ホームランこそ少ないものの、こつこつとヒットを量産してくれる坪井は、チームの長期低迷に悩む阪神ファンにとって数少ない希望の星だった。
 しかし、2000年にはその勢いが失速してしまう。打率、ヒット数ともに前の年をかなり下回ったのだ。さらに2001年、2002年にはケガが重なり、出場試合の数が大幅に減ってしまう。
 特に2002年の左足骨折は本人にとって大きな痛手となった。そしてこの年のオフシーズン、坪井は山田捕手、伊達投手とともに日本ハムファイターズ(当時)へとトレードされた。
 不振が続いたとはいえ主力選手のトレードはファンに大きな衝撃を与えた。当時は阪神のみのファンであった私自身も坪井には思い入れが強かっただけに、この一報を聞いたときは全く理解ができなかった。「ウソやろ……なんで、なんで坪井を出さなあかんねん!」怒りすら覚えた。
 ファンですらこうなのだから、まして本人はもっと大きなショックを受けただろうし、辛かったに違いない。それに、はっきり言ってしまえば人気球団からの放出である。このようなトレードで腐ったまま現役生活を終えたとしても、全くおかしくないのだ。
 しかし、坪井はそんな選手ではなかった。移籍先の日本ハムでは以前のような打撃が復活、外野のポジションを奪うと、チームメイトの小笠原と首位打者争いを繰り広げるほどの活躍を見せた。新天地を得た坪井は見事に甦ったのだ。
 そして去年。北海道移転元年に加えかつて阪神でともにプレーしたSHINJOの加入もあり、坪井は更なる躍進を遂げる……はずだったが、故障続きで前年ほどの成績は収めることができなかった。
 とはいえ、これは以前の繰り返しでは決してないだろう。この年のホームラン数は11本と過去最多となっており、これまでのようなヒットのみならず一発も期待できるようになりつつあるのだ。
 坪井は今年も外野のポジション争いからを一歩リードしている。順調に行けばライトの定位置は間違いなく彼のものだろう。
 輝かしい人生から一転して挫折を味わい、そこから這い上がって輝きを取り戻した坪井。彼がシーズンを通じてその実力を発揮するとき、ファイターズにも優勝の輝きがともるはずだ。


text by ルパート・ジョーンズ
にわか日本ハムファンのブログ
posted by しけたろう at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

37 石本努

<画像募集中です>
石本努
北海道日本ハムファイターズ 37
外野手 32歳 右投左打
180センチ76キロ
率0.289本1点11試90
<率0.265本6点69試456>


2004年、プロ野球史上初めてのストライキが明けた札幌ドームで、SHINJO選手率いるコスプレの「ゴレンジャー」が登場しました〜ってニュースがあったでしょう。
あれのモモレンジャーをやっていたのが石本選手です(笑)。

「モモレンジャーは石本」と聞いて、ほとんどの日ハムファンは「ああ〜」と何となく納得したに違いない。
それくらい、石本選手はおっとりしていて、謙虚で、物腰の柔らかい、あまりプロ野球選手っぽくない人なんです。
でも選手としては、足がめちゃくちゃ速くて、打撃もしぶとく、塁に出るといやらしいタイプ。俊足巧打ってやつですね。肩は、過去に手術をしているので正直頼りないですが、俊足を活かした守備範囲の広さとボールに対するカンの良さでそれを補っています。

出身は大分県の別府大学付属高校。ホークスの城島選手の先輩ということになりますね。90年にドラフト2位の「かくし球」として日ハムに入団。その当時は右打ちの内野手でした。
俊足を活かすため、外野にコンバートされ、スイッチを経て左打者に転向。
機動力重視のヒルマン監督の目に留まり、2003年は最多の99試合に出場。2004年も打率.298を残しています。
石本さんは、ユニフォームを、ソックスを長く出して履くいわゆる「オールドスタイル」にしています。二軍で昔、ソックスを出さないとならない決まりがあったらしく、そのときの気持ちを忘れないように……ということで出し続けているとのこと。練習では普通のスタイルですが、試合開始近くなるとソックスを出して「スイッチ・オン」と気合いを入れるそうです。
チャームポイントは、そのオールドスタイルがよく似合うすらりとした脚と、涼しげな目元、そしてはにかんだような笑顔!

実は私が石本さんファンになったのは、2003年くらいから。だから、怪我で苦労した時期とか、ファームで頑張っていた時期とかは、実はほどんど知りません。昔からのファンの方の話を聞くと、本当に本当に謙虚な方、というイメージが深くなっていくばかり。
私がこんなに石本さんを応援するようになったのも、その静かな雰囲気が、それまでの「ギラギラと燃えながら勝負の世界に生きている男」というプロ野球選手のイメージと余りに違って意外だったからでした。
とても新鮮だったんです。
「自分が最後まで試合に出ているのが不思議です」なんて言う石本さんも、それを「覇気がない」とか言わない日ハムというチームの雰囲気も。
「自分が全試合出ていたらチームは優勝できない」「レギュラーじゃなくてもいい」なんて、さらっと言ってしまう人です。
でも試合に出たら、本当に渋い働きをするんです。豪快な打撃が売りの日ハム打線の中で、なかなか貴重なしぶといバッターだと思います。
「しなやかな強さ」ってこういうことを言うんだろうなあ、と教えてくれた選手です。

輝くばかりのスター選手もいいですが、こういう地味な一風変わった選手の魅力にも、ぜひ目を配ってみて下さい。
「強さ」にもいろいろな個性があるのだなあ、と思うと、野球を見るのもますます楽しくなると思います。

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58 稲葉篤紀

<画像募集中>

稲葉篤紀
北海道日本ハムファイターズ 58
外野手 33歳 左投左打
率0.265本18点45試135
<率0.284本122点437試1023>


背番号58:稲葉篤紀(いなば・あつのり) 1972年8月3日生まれ。
94年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。
2001年5月31日、神宮での巨人戦。9回裏二死満塁の場面でサヨナラ満塁HRを放つ。
私、個人的にあのオレンジ軍団が大嫌いなこともあり、その瞬間の喜びようは半端じゃありませんでした。
当時の私の日記を引用します。

======
2001年5月31日 稲葉がやったぞ

サヨナラ満塁ホームラン。滅多に見られるものではありません。

ヤクルト−巨人11回戦は、取っては取られ取られては取り返す…という緊迫したゲーム展開。
8回表、江藤にタイムリーを浴び3−4と勝ち越される。その裏、ヤクルトは稲葉・ペタジーニという期待の3・4番が柏田の変化球にタイミングが合わず連続三振。雰囲気的にも「きょうはこのまま負けかなぁ」と思い始めていた。

ところが…だ。ここで巨人ベンチは好投の柏田に代えて木村をマウンドに送った。
「右打者の古田には右の木村で」―そう考えるのも決してまちがいではない。
「右打者には右投手、左打者には左投手」をぶつけるのが、球界のセオリーだからだ。
しかし、中継の解説をしていた落合さんが「ここは柏田にそのまま行ってほしいなぁ」とCM入り直前にポロリ。確かにそれまでの柏田を見ると右左関係なく抑えてしまいそうな気はした。

そして、落合さんの予感は当たる。古田が代わった木村から狙いすましたようにレフトスタンドに放り込んで見せたのだ。これで4−4。「負け」の雰囲気は一気に消し飛んだ。

9回表は代打・仁志にヒットを打たれたものの無得点に抑え、9回裏の攻撃へ。ここで決めてしまわないと巨人の10回表は3番・江藤からの攻撃となる。是が非でも決めてほしかった。

…が、ラミレスの「サヨナラHR?」と思われた当たりが失速。土橋も簡単に打ち取られ2アウト。
「延長かぁ」と、あきらめかけたその時、代打・副島が四球を選んだ。しかも、その代走・三木が初球から積極的に二盗を決めた。一気に盛り上がってきた。

真中敬遠のあと、宮本がレフトへヒット。「サヨナラ?」と思ったが、巨人の前進守備に阻まれ、ホーム突入は出来ず、2アウト満塁に。ここで8回に柏田に打ち取られた稲葉に打順が回った。ここで決まらなければ延長戦。スカパーで観戦する私も、ドキドキしながら行方を見守った。

ややインコースよりの球をライト方向へ。きゅうくつなスイングのようにも見えたので一瞬「あちゃぁ」と思ったのだが、打球はぐんぐん伸びてライトスタンドへ飛び込んだ。

その瞬間の私の喜びようといったらなかった。テレビの前で大騒ぎしてましたよ。私も実は稲葉が打席に入るとき「ここでサヨナラ満塁ホームランとか」と、なかば冗談交じりに話していたんだけどね。(笑)
======

結局、この年はヤクルトが優勝→日本一。
稲葉自身も、打率.311、25本塁打、90打点という好成績をマークし、優勝に大きく貢献。一気に1億円プレーヤーの仲間入りを果たす。この年、外野の守備位置とベンチの往復を常に全力疾走で駆け抜けることを評価され、セ・リーグ特別表彰。2001年は、彼の野球人生の中で最も充実した年となったが、その後は腰痛などの影響で思うような成績は残せず、打率は.260前後。相手先発が左投手の時にはスタメン起用されないことも多くなった。

2004年オフ、FA宣言。スワローズとの間で設定されてた残留交渉の期限切れ目前で「残留はせず、あくまでメジャーを目指す」とスワローズとの決別を表明。メジャー挑戦の夢を叶えるべく交渉を続けたが、条件が折り合わず(!?)メジャー行きを断念。「メジャーからオファーがなければ、ぜひウチで…」と絶妙なタイミングでオファーを出したファイターズへ移籍。

実は、ファイターズファンの中でも賛否両論あるんです。
せっかく外野も若手が伸びてきたのに、なぜ稲葉!? …という意見もあるのは事実。
しかし、稲葉はすごく一生懸命に野球に取り組む選手です。それは「常に全力疾走」という彼のスタイルからもわかりますし、高田GMも「手抜きがなく、若手への手本としても期待している」と言っています。まずは、キャンプからオープン戦にかけて、稲葉がどんなプレーをするかじっくり見てください。そうすれば、私や高田GMの言う意味が分かってもらえるはずです。

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2004年12月08日

6 初芝清

<画像募集中>
初芝清
千葉ロッテマリーンズ 6
内野手 38歳 右投右打
181センチ 95キロ
率0.282本6点21試61
<率0.265本231点873試1698>


偉大なるファンタジスタ初芝清先生は1967年2月26日東京都でお生まれになりました(埼玉県富士見市でご生誕との説もあります)。
幼少の頃から類稀なる野球の才能を発揮、名門二松学舎大付属高校に入り、2年時からエースで4番となります。
しかし、2年時は不祥事による出場辞退で甲子園への道を断たれ、3年時は東東京大会4回戦で春の選抜優勝校岩倉高校をご自身の逆転ホームランと好リリーフで下し、決勝まで進出しながらも、日大一に1−3で敗れ、あと一歩で甲子園出場を逃されます。
高校卒業後は社会人の東芝府中に入社され、野手に転向。その強打で決して名門とは言えなかった当時の東芝府中を3度都市対抗へと導かれたのでした。

88年の都市対抗予選で与田(NTT東京→89年中日ドラフト1位)から放ったホームランの凄まじさについて、当時東芝府中に勤務していた日没閉門氏(競馬ライター)はこう騙って語っています。
「今まで見たアマチュア選手のホームランの中で一番凄かった。与田もプロに行く選手だと思ったが先生は明らかにその上を行っていた」

同年のドラフトでロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)から4位指名を受け入団。2年目に18本塁打を打ち、レギュラーの座を掴むと、1992年の千葉移転後はコンスタントに二桁本塁打を放ち、90年代を通じて打の主軸として活躍されます。
95年には打点王を取り、99年にはシドニー五輪アジア地区予選で全日本の4番もお務めになりました。
年間を通じた成績だけ見ると、意外と平凡に見えるかもしれませんが、シーズンが押し迫った9月以降の打棒の凄まじさはもはや神の領域に達しています。
特に相手チームの優勝がかかった試合での先生は世界一のスラッガーと言っても過言では無いでしょう。マジック1でマリーンズと対戦するチームはことごとく初芝先生の強打の前にその野望を断たれたのでした。
先生の打棒はシーズンが終了に近づくに連れて迫力を増していきます。例年ほとんど試合がないのですが、10月だけの成績をとると明訓高校時代の山田太郎に匹敵するような成績を残しています(やや誇張)。
正に日本のミスター・オクトーバーと呼ぶべき存在と言えるでしょう(嘘)。

このように押しも押されぬ日本を代表するスラッガーとして評価を高めたためか、イチローがメジャー移籍した際には、ESPNが間違えてイチローの特集記事に先生の写真を掲載してしまうという珍事件も起こりました。
(ひょっとすると、あれは単純なミスではなく、アメリカが欲しているのはイチローじゃなくて初芝先生だというメッセージだったのかもしれません)。

しかし、先生が千葉ロッテマリーンズファンから愛されているのは、それだけが理由ではありません。
近年、加齢による衰えもあってか、先生の成績は今ひとつ振るいません。
昨年はわずか61試合の出場に留まり、サードのレギュラーの座も、若い今江に奪われつつあります。

それでも、マリーンズの本拠地千葉マリンスタジアムで、初芝先生以上にファンに大きな拍手を持って迎えられる選手は他にいません。

一打逆転というチャンスで代打に初芝先生の名前が告げられたときのスタンドのどよめきと声援。
それは「一発逆転打を頼むぞ!」という期待を込めた声援だけでないことは確かです。

先生は外の変化球を当てるのは巧いのですが、足が遅いため併殺打が多いのが欠点です。
ここぞというチャンスに併殺打を打つことが多いのも、先生の特徴です。
スタンドのファンは皆それを知っています。だからどよめきが起こるのです。
そして、期待に応えて(?)見事併殺打を打つと、スタンドからは罵声よりも大きな笑い声が聞こえて来るのです。

また、181cm 95Kgというプロフィールを見てもわかるように、先生はちょっと太ってらっしゃいます。
あまり俊敏な動きは得意ではありません。
なので、守備は少し苦手です。
ポジションはサードですが、基本的に先生の守備範囲はサードベース際1mくらいの範囲で、あとはショートの小坂選手がカバーします(小坂選手は日本一勤勉なショートです)。

マリンスタジアムは風が強いのでファウルグラウンドに打ち上げられたフライは風に流され予期せぬ方向に舞います。
それをドタバタとした足取りで追いかける初芝先生の姿はこの上なくキュートです。
先生はフライを捕るのがことのほか苦手でいらっしゃるようで、自分で捕りに行かれるとよく落とされます。ということで、大概の場合は小坂選手がカバーすることになります。
偶に小坂選手を制して先生がファウルフライを見事キャッチしようものなら、スタンドからは割れんばかりの大歓声が沸き起こります。
このマリンスタジアム独特の風に舞う華麗な舞は、マリーンズのサードベースマンの一子相伝の芸として後継者の今江選手にも受け継がれているようです。

こういった数字には表れない部分も先生の魅力の一つなのです。
先生が一部のファンから親しみを込めて「ファンタジスタ」と呼ばれる所以はそんなところにあります。

私の拙い筆力ではとても初芝先生の偉大さを全て伝えることはできませんが、この紹介記事で先生の魅力の一端でも伝えることができればと思い筆を取った次第です。
この記事で初芝先生にいささかでも興味を持っていただければ、この上ない僥倖です。

興味を持たれた方は是非聖地マリンスタジアムへ赴きましょう。
運がよければ、そこで、貴方は初芝先生の真の偉大さに触れることができるはずです





posted by しけたろう at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

6 初芝清

<画像募集中>
初芝清
千葉ロッテマリーンズ 6
内野手 38歳 右投右打
181センチ 95キロ
率0.282本6点21試61
<率0.265本231点873試1698>



ホームランは野球の華、よく言われる言葉だ。

起死回生の逆転ホームラン。劇的なサヨナラホームラン。ピッチャーが呆然と見送る場外ホームラン。
一口にホームランといっても様々な種類がある。それは今まで多くの選手が記憶に残るホームランを放ってきた証拠だろう。
確かにホームランを打つ選手は多い。しかし、数あるホームランのうち、爆笑ホームランを打てる選手は世界広しと言えどただ一人。
初芝清しかいない。

初芝清 38歳 千葉ロッテマリーンズ所属。

一見ちょっと太ったおっさん選手である初芝が、何故こうもファンの心をつかんで離さないのだろう。
私もそうだ。あの日球場で見た初芝の一発と、その直後スタンドにわきあがった大爆笑を、私は忘れることが出来ない。

2003年5月9日、千葉マリンスタジアム。
西武戦にもかかわらず、平日の肌寒いナイターであるせいか観客はまばら。
極度の不振から開幕早々2軍落ちした初芝は5月5日にようやく復帰、この日が復帰後初スタメンである。
この日までまだヒットなし。しかし初芝は打った。
4回の裏、迎えた第二打席で決勝打となる勝ち越しツーランホームランを放ったのだ。

その直後、スタジアムを包んだのは歓声ではなく、なぜか爆笑だった。

うおおっ!初芝が打った!打っちゃったよおい!ホームランだっはっはっ!

私は涙が出るほど爆笑しながら、なんだかとても幸せな気分になったのを覚えている。

この話には後日談がある。

今季初安打が決勝ホームランとなりこれで調子を上げるかと思われた矢先の5月14日。
試合前の練習中、初芝は球拾いをかねて守備練習をしていた。
ここで不幸が起こる。横っ飛びキャッチに失敗して寝そべりながら悔しがっていた初芝の右ひじに運悪く打球が直撃してしまったのだ。
一部始終を見ていた山本監督は「アホ! 早く立てばよかったものを」とあきれはててしまった。哀れ初芝。せっかく1軍に復帰しながら、こんな理由であっさり二軍落ちとなってしまったのである。

あのホームランで浮上のきっかけを掴み即大活躍、とすんなり行かないのが初芝の初芝たるゆえんであろう。その後なんだかんだで1軍に復帰した初芝は代打の切り札として活躍し、代打で7打席連続安打と言う日本タイ記録を打ち立てることになるのだが、それはまた別の話。

幸運にしてこの一発を目撃した私は、この日を境に初芝ファンから初芝原理主義者となった。今ではこうしてブログをはじめ、初芝師のすばらしさを啓蒙して回る日々をすごしている。しかしこんな私にとっても、何故初芝の一発を目の当たりにして爆笑してしまったのかを言葉で説明するのは難しい。やはり実際に見て、理解してもらうしかないのかなと思う。

初芝を知らない野球ファンのあなたにお願いがある。
どうか、一度マリンスタジアムに足を運んでみてほしい。運がよければ初芝の雄姿を拝めるかもしれない。
初芝のメガネが光る時。それは初芝が織り成すファンタジーの扉が開く時だ。
決して見逃してはいけない。次の瞬間・・・

鈍足を飛ばして3塁打を放ち、サードベース上で胸を張る初芝がいるかもしれない。
あるいは、ホームランを放ちダイヤモンドを一周する初芝がいるかもしれない。
守備につく初芝を目撃できたらさらに運がいい。
体に似合わず俊敏な打球処理が拝めるかもしれないし、惚れ惚れするようなトンネルが見られるかもしれない。
また、初芝がファウルフライを追ってあさっての方角に走り出し、「初芝そっちじゃない!左左!」とヤジが飛ぶ。そして落球。そんな瞬間かもしれない。

併殺打を放ち、うなだれる初芝を見ることもある。残念ながら、そっちのほうが多い。
そんな初芝を、あなたはどう思うだろうか。
「使えねぇ」と吐き捨てるだろうか。
「なんだやっぱり初芝だよ。しょうがないなあ」とどこかうれしそうに愚痴をこぼすのだろうか。
もし後者なら、あなたはもう立派な初芝ファンだ。普通の野球ファンには戻れない。あきらめて初芝と、千葉ロッテマリーンズを応援しよう。


posted by しけたろう at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

32 澤井良輔

澤井良輔
千葉ロッテマリーンズ 32
内野手 27歳 右投左打
185センチ 86キロ
E率0.255本6点18試72
<率0.255本6点19試90>
※04年はイースタンのみの出場。1軍出場なし。



澤井良輔。
1978年3月9日生まれの27歳。
1995年ドラフト1位指名で千葉ロッテマリーンズ入団。
1軍通算90試合出場、160打数36安打6本塁打19打点。

今年プロ入り10年目となる、もはや若手とはいえない微妙な位置にいる澤井を知る人は、マリーンズファンを除けばそれほど多くはないかもしれません。

しかし、高校時代の彼は千葉の名門銚子商の主砲で、「西の福留、東の澤井」とまで謳われた大器でした。
「西の福留」とはもちろん現中日ドラゴンズの福留孝介です。
つまり、10年に一人の大器と呼ばれた選手のライバルだったというわけです。
野球に少しでも興味がある人ならば、福留を知らない人はいないでしょう。
文句無く日本を代表するスラッガーの一人です。
高校時代の澤井は、その日本を代表するスラッガーとほぼ同等の力があるとみなされていたのです。
一部のドラフトマニアの間では潜在能力なら澤井の方が上だという声もあったくらいです(その一部のドラフトマニアというのは私ですが)。


3年春の甲子園では、初戦でいきなりライバル福留のいた優勝候補PL学園と対戦します。
事実上の決勝戦といわれたこの試合、3番ショートで出場した澤井は1回表の第一打席、いきなりライトスタンドに弾丸ライナーで突き刺さる先制ホームランを放ち、ファンの度肝を抜きます。この試合、澤井の見せ場はこれだけでしたが、チームは延長戦の末勝利(ちなみにこのときPLのエースは元近鉄→現楽天の前田忠節、リリーフで登板し決勝打を打たれたのがまだ2年生だった元近鉄→現阪神の前川でした。福留はいったんは勝ち越し打となる逆転スリーランを放ち、気を吐きました。)。
強豪対決を制し、順調に勝ち進んだ銚子商の前に準決勝で立ちはだかったのは大会ナンバーワンサウスポーと評されていた藤井秀悟投手(現ヤクルト)を擁する今治西。
しかし、この試合藤井投手は足の故障のため登板できず、銚子商は今治西を破って決勝へと駒を進めます。
紫紺の優勝旗まであと一歩でしたが、決勝戦では初出場の伏兵観音寺中央高校に敗れ、準優勝にとどまります。

澤井は初戦のPL戦の第一打席にいきなり超高校級のホームランを放ち、大器の片鱗を見せ付けますが、その後はマークが厳しくなったこともあって、打撃の粗さが目立ち、尻すぼみの成績に終わりました。
強豪校を撃破しながら最後に伏兵に敗れて優勝を逃したことも併せて、今となってみれば、その後の彼の行く末を暗示していたかのように思えなくもないです。

彼の球歴はここがピークでした。

夏は優勝候補の筆頭に挙げられながら、3回戦で敗退します。

その年の秋のドラフトではライバル福留が7球団から1位指名を受ける中、最初の1位入札で澤井を指名する球団はありませんでした。似たようなタイプ(左打ちのスラッガー内野手)だっただけに、玄人の評価は福留>澤井だったということなのでしょう。
福留の抽選に外れた千葉ロッテマリーンズとヤクルトスワローズが2回目の1位入札で澤井を指名し、珍しい2度目の入札での競合による抽選の末、千葉ロッテマリーンズへの入団が決まります。

意中ではない近鉄の指名を蹴って社会人の日本生命に進み、最初は評判倒れと陰口を叩かれつつも地道に地力をつけていったライバル福留が、3年後堂々の逆指名で中日ドラゴンズに入団したとき、澤井はマリーンズのファームのレギュラーにすらなっていませんでした。

福留は1年目(1999年)から一軍でそこそこの結果を出しますが、2年目(2000年)、3年目(2001年)は守備位置の変更もあって伸び悩みます。
福留との差をつめるチャンスだったのですが、実は同じ時期、澤井も伸び悩んでいました。
澤井が入団したマリーンズが評価していたのは彼の長距離打者としての適性でした。
彼は「和製大砲」としての活躍を期待されてマリーンズに入団したのです。
しかし、彼は本質的にプロでホームランを量産するような長距離打者ではありませんでした。
彼に与えられていた天性は外野の間を抜くような打球を打つスプレーヒッターだったのです。
ホームランを期待されることで、自らの資質に合わない打撃を求められた結果、澤井が高校時代に見せていた輝きは徐々に失われていったのでした。

澤井がブレイクしかけたのは2002年のプレシーズン。
ホームランへの意識を弱め、飛ばすことよりも確実性を重視するようになった彼のバッティングは明らかに変わりました。
オープン戦での打率は5割を越え、前年不振に終わった初芝先生に代わり開幕スタメンサードの座を掴みます。
マリーンズファンは皆、その前年の2001年にオープン戦で大爆発して石井浩朗からレギュラーの座を奪い、首位打者を獲るまでに成長した2歳上の福浦のような活躍を期待したものです。
しかし、札幌ドームでの開幕戦、ミンチー−松坂の緊迫の投げ合いで続く中、カブレラの何でもないサードゴロを内野安打にして均衡が破れるきっかけを作ってしまった時点で、実質的に澤井のシーズンは終わっていました。

それは本当に、ちょっとバウンドが高いだけの何でもない普通のサードゴロだったのです。
しかも、打者は、実は意外と脚は早いものの振り切るバッティングをするために一歩目が遅くなるはずの右打者カブレラです。
あまりに動きが悪く、スローイングが不安定で遅いため、サードでは使えないということがあの瞬間に証明されたようなものでした。
しかし、当時ファーストには福浦、DHにはボーリックがいたため、澤井の守る場所は他にはどこもありませんでした。
守備で自信喪失し萎縮したことがバッティングにも悪影響を与えたのでしょう。結局その年は過去最高の41試合に出場したものの打率は.176。オープン戦での打撃開眼が嘘のような低調な成績に終わったのでした。

澤井がレギュラーの座を掴み損ねたその年、外野に固定された福留は打撃開眼、セントラル・リーグの首位打者となり、松井秀喜の三冠王を阻みます。

縮まるかに見えた差はまた広がってしまいました。

翌2003年もファームスタート。
しかし、ファームで好成績を上げ、6月に一軍に上がると、不振のボーリック、福浦らを尻目に快打を連発。
一時はクリーンナップを任されるほどの活躍でした。
しかし、オールスター前にはその好調期も終わり、またファームへ逆戻り。
確かに当時の山本功児監督に堪え性がなかったのはよく指摘されるところではありますが、守るポジションがファーストしかないだけに、打撃で結果を出し続けないとなかなか継続して使う気にはなれないのは致し方の無いところでしょう。

昨年はバレンタインに嫌われたのか、一軍での出場はなし。
精神的にも腐ってしまったのかファームでの成績も芳しいものではありませんでした。

もう残された時間はあまりありません。

あの選抜での対戦から10年、気が遠くなるほど開いてしまった福留との差を少しでも縮めるために澤井は今年も現役を続けます。
そのチャンスが与えられるのはもうそれほど長い期間ではないでしょう。


澤井の打撃の一番の特徴は変化球打ちの巧さです。
普通一軍に定着できない選手の欠点は変化球が打てない点にあることが多いのですが、澤井の場合は逆です。
特に右投手のインローに来るスライダー系の変化球の捌き方は非常に巧いものがあります。
むしろストレートに力負けするシーンが多く、それが何となく彼の完成した限界を示しているように見えて、起用を躊躇される一因となっているのでしょう。
常時使えば.270〜.280、二桁本塁打は打てる実力はあるでしょうが、ファーストないしはDHでしか使えない選手の期待値として、それはあまりに低すぎます。
つまり、澤井が福留に追いつくためには、打撃で福留に匹敵するような成績を上げるしかないということです。
その可能性はゼロではない、と、今は書いておきましょう。



♪澤井 澤井 澤井 もう迷うことはないよ。
僕は 君を 応援するよ いつも 君のために♪
(ガガガSP「卒業」のメロディーで)

posted by しけたろう at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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