比嘉寿光
広島東洋カープ 10
内野手 24歳 右投右打
185センチ 84キロ
W率0.219本2点14試43
<一軍試合出場なし>
広島東洋カープ 10
内野手 24歳 右投右打
185センチ 84キロ
W率0.219本2点14試43
<一軍試合出場なし>
比嘉寿光(ひがとしみつ)内野手 背番号10 右投げ右打ち
1981年4月19日生 沖縄県出身 185cm84kg
沖縄尚学高−早稲田大−広島(2004・3巡目)
比嘉選手は、小学生で野球を始め、小・中とキャプテンとして活躍します。
高校は沖縄の強豪・沖縄尚学高校に入学します。2年秋にはキャプテンとして、また不動の4番としてチームをセンバツ大会出場に導きます。
99年春。PL学園などの強豪を下して迎えた、水戸商との決勝戦。
ショートを守っていた比嘉は2回にエラー。これがきっかけで水戸商に2点を先制されます。しかし、比嘉はその裏、いきなり2ベースを放ちます。この後、沖縄尚学は逆転に成功し、試合は7−2で勝利。史上初めて沖縄県の高校が甲子園で優勝を飾ったのでした。
比嘉は後に、「自分のエラーで失点を許した。だけど、このまま引きずったらダメになる。」と語っています。彼の「責任感の強さ」が垣間見えるエピソードです。
大学は古豪・早稲田大に進学。1年春からレギュラー選手となり、3年からは4番打者となり、1年先輩の和田投手(現福岡ソフトバンク)や同期の鳥谷内野手(現阪神)らと共に、早稲田の六大学リーグ2連覇に貢献します。4年次には主将に選ばれ、プレーで、そして言葉でチームを引っ張りました。そして、春・秋のリーグ戦で連続優勝し、早稲田初の「リーグ4連覇」を成し遂げたのでした。
2003年秋、ドラフト指名を受けて広島へ入団した彼は、スカウトをして「大学時代の山本浩二(現監督)に似ている」と言わしめる程の期待をもって迎え入れられました。
しかし、キャンプで「プロの壁」にぶち当たり2軍へ。4月には親指じん帯断裂の重傷を負い、3ヶ月間のリハビリを余儀なくされます。7月に復帰し、2軍戦でホームランを打つなどしましたが、結局1軍出場はお預けとなりました。
彼の魅力を一言でいうならば、
「やるときはやる男前」
といったところでしょう。
彼はいつでも全力でバットを振り抜きます。高い打率を残せるバッターではありません。しかし、一度ボールが当たればその打球は鋭くレフト方向へ飛んでいきます。
そして、高校・大学と、優勝がかかった試合にめっぽう強いバッターでした。
プロのピッチャーにだいぶ慣れてきましたので、その魅力を発揮する機会が近く訪れるものと思っています。
あと、何と言ってもあの笑顔。力強い目。白い歯。私が女だったら惚れてしまっていたはずです。
(現に、大学時代は鳥谷よりずっとモテていました)
心から沖縄を愛する未来のスター。
(好きな食べ物は「海ぶどう」。酔うと沖縄弁でまくし立てる、という噂も)
今年始めに入籍し、心機一転、2年目を迎えます。
text by tugend
孤空の彼方へ
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