2004年12月12日

0 酒井忠晴

酒井忠晴
東北楽天ゴールデンイーグルス 0
内野手 35歳 右投右打
176センチ 75キロ
W率0.219本0点5試36
<率0.247本8点150試922>


私が愛した2001年前後の千葉ロッテで、最も好きだった選手。当時の(そしておそらく現在も)セカンドでこの人の守備を超えた選手を私は知りません。

1969年に修徳高からドラフト5位で中日入り、「守備の人」高木守道が監督になった1992年からショートの種田(現横浜ベイスターズ)の控えとして起用し始め、1軍に定着します。しかし1996年、高木とは犬猿の仲の星野仙一監督が政権を握ると高木派は駆逐されます。そのとき、中日の「酒井忠晴・仁村徹・山本保司」と千葉ロッテの「樋口一紀・平沼定晴・前田幸長(現在読売ジャイアンツの中継ぎ)」による大型トレードで千葉ロッテに飛ばされます。

1999年から現読売ジャイアンツヘッドコーチの山本功児が千葉ロッテの監督に就任。この人は「ベテランを重宝する」ことで有名ですが、それと共に「若手に不必要なまでにコンバート(守備位置変更)を強要する」というものがあります。この監督1年目にどうしても打率が3割に届かない福浦和也一塁手(後に2001年に首位打者になり、その後4年連続3割打者)を外野に回し、サードの初芝清を一塁手としてコンバートするという暴挙に出ます。その結果空いた三塁に酒井さんが入ることとなります。そこでレギュラーの座を得るものの、翌年2000年にトレードで巨人から本塁打王も経験した石井浩郎一塁手が入団、これで初芝がサードに戻りました。もっとも、結果的には石井は度重なる怪我*1のため度々2軍行きか代打としてベンチ入りするかの生活。ただ福浦の打撃の好調&外野守備が怖ろしいものだったためファーストに福浦が入りましたが。

しかしそれに呼応するかのように、千葉ロッテの不動のセカンド・堀幸一内野手が不調、結果的にセカンドの座を得ることになります。その翌年、コンバート好きの山本監督は若手のサブロー外野手*2をセカンドにコンバートするという暴挙にでるも、結局不調でアウト。2000年には91試合、2001年には107試合、セカンドとして試合に出場します。

とにかくこの人の持ち味は神業としか言いようがない守備。バックトスや逆シングルなどの技も見どころですが、それ以上に素晴らしいのは「捕る」から「投げる」までのスムーズさ。この人の特徴のひとつに「打球を正面から捕らない」があります。「正面で安全に捕球する」より「素早く送球できる体勢で捕球する」ことを重要視するため、エラーが多いもののゴールデングロブ賞の常連であった小坂誠遊撃手とともに信じられないダブルプレーを何度も見せてくれました。この頃、東京ドームで千葉ロッテマリーンズ対日本ハムファイターズ戦を観戦すると「ランナーが一塁」「一二塁間にゴロ」「それを酒井さんが捕球」「普通なら2塁への送球が間に合わないため1塁に投げるところを神業レベルの早さの送球で2塁へ」「小坂が2塁上で捕球してワンナウト」「1塁に送球してツーアウト」「紙一重のタイミングのゲッツーのため、瞬間湯沸かし器の日ハムの大島監督(当時)が顔を真っ赤にして抗議に出てくる」という一連の流れ(審判にキレる大島監督まで)をよく見ることがありました。本当、この小坂-酒井の二遊間は当時のパリーグ一(いや、12球団一)の強固さで、当時編成を担当していた園川一美(元千葉ロッテのエース)が「うちの球団防御率をこの2人が1点下げている」と言わしめ、当時の先発投手陣たちから「後ろには2人の忍者がいますから」と抜群の信頼を得ていました。

1998年にチームで一緒だったフリオ・フランコ選手に(メジャーでも首位打者になった「本物のメジャーリーガー」。第1次バレンタイン政権の1995年と1998年に千葉ロッテに在籍。なんと今年も46歳でメジャーリーガー。そもそもこの人年齢詐称疑惑があり、数年おきにどさっと年齢が増えます(笑)。))「(守備は)メジャー級だよ!」と言わしめたほど。そのため、一時期一部の千葉ロッテファンから「メジャー級」の愛称で親しまれていました。その後私生活でも離婚を体験し「名実ともにメジャー級!」と言われたものです。現に1999〜2000年の千葉ロッテの守護神だったブライアン・ウォーレン投手*3の代理人がメジャーのスカウトに酒井さんを紹介した程。ただ、酒井さんは年齢を理由に断ってます。もしも断っていなかったら日本人野手初のメジャーリーガーは酒井さんだったかも……!?

そしてこの人の不思議さは、2000年あたりから着実にレベルアップしていった打撃。当時の千葉ロッテは3番福浦・4番ボーリック・5番D.メイ以外ではまず点が取れない(というかヒットを打ってくれない)打線で、現在も続く1番打者不足が叫ばれていました。そんな中、9番打者を任される酒井さんはシーズン中なら2割9分の打率を維持しているときがあり、千葉マリンスタジアムでバックネット裏の電光掲示板で彼の打率が提示される度、「どうしてほぼ3割打者が9番に!?」とファンを困惑させていました。これがくせもの。この人、打順が頭の方に来ると打率が下がるんですよ……。

2003年に古巣中日へ移籍するもオープン戦で怪我をして2軍行き、たまに1軍にあがったらいきなりエラー(あれは長らく千葉ロッテで応援してきたものとしてはショックでした…)、そして2004年には巨人から守備職人・川相さんが移籍。結果、2005年には東北楽天ゴールデンイーグルスへ無償トレードされました。是非とも東北の地で、あの神の御技を再び披露して頂きたいものです。

*1:主に「肉離れ」、そのため当時千葉ロッテファンの間では通称「肉離れ」でした。
*2:本名・大村三郎。当時は大村巌という外野手兼代打の切り札がいたため登録名を変更。奥さんは元アイドルの中嶋美智代。
*3:2000年にはボールをヤスリで削った不正投球疑惑があり、乱闘やら中指立てたりやらで大暴走。当時、ウォーレンへの応援は「こすってこすって!」



posted by しけたろう at 12:15| Comment(2) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
懐かしいですね 酒井選手 
ペンネーム 正岡
Posted by 村石 太307号(名古屋発) at 2009年12月19日 18:50
お久しぶりです!
三郷の大場川沿いに住んでいた頃、
近所にいた「原英次郎」です。
覚えていらっしゃらないかなぁ〜?
Posted by 原英次郎 at 2016年05月22日 11:58
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/3004407

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。