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土橋勝征
ヤクルトスワローズ 5
内野手 37歳 右投右打
179センチ 83キロ
率0.315本9点34試111
<率0.263本76点410試1334>
土橋勝征
ヤクルトスワローズ 5
内野手 37歳 右投右打
179センチ 83キロ
率0.315本9点34試111
<率0.263本76点410試1334>
一時の土橋選手のトレードマークといえば「メガネ」と「2段グリップ」・・。
しかし、いまはその両方ともない。
2000年11月に視力回復手術にふみきると、その余生を勝って2001年1月元・女優・白島靖代さんと結婚。(メガネをやめたからモテたのではなさそうだ)
そして、2001年はヤクルト優勝!
「2段グリップ」も今年(04年)になってやめたようだ。
私自信はベテラン偏重起用を批判してきたので、土橋についてあまり書いていない。
本当は大好きな選手なんですよ。マジで。
土橋はある意味、「ID野球の申し子」といえる。
というか、ホント「ノムさんの好み」を絵に描いたような選手なのだ。
土橋が最初にマスコミに取り上げられたのは(というか、僕が名前を知った)のは、サードを長嶋一茂と争う若手の一人としてだった。
ちなみに土橋選手は飯田選手とドラフト同期。土橋が2位で飯田が4位だった。
土橋選手の出身、印旛高からは同じ年、日ハム3位で名洗将之という選手が指名されている。
エースだったのは土橋選手だったが、評判が名洗選手のほうが高かったという話もある。
また、土橋選手は高校時代、自転車通学でたくましい太ももを培ったという話である。
しばらくすると、試合に出ている土橋を見るようになる。
外野の守備固めだ。
当時もかなり外野は過密競争状態だったが、野村監督の信頼は厚かった。特に肩がいいのがお気に入りだったようだ。
92年、93年の日本シリーズはともに外野の守備固めとして出場しております。
92年、93年はセカンドに外国人をおいて優勝したのですが、94年は外野手の新外国人(クラーク)をとっため、二塁がぽっかりとあいてしまいます。
当初は誰を想定していたかは分かりませんが、結局、ポジションをとったのが土橋でした。
野村監督は、飯田を捕手から二塁にコンバートしましたし、副島や度会、塩谷(阪神→オリックス)などにも二塁挑戦させているので、「二塁はそれほど難しくない」と思っているフシがあるのではないでしょうか?
翌95年は、打撃も開眼し、「三番・二塁」で優勝に貢献し、そのいぶし銀の魅力が全国区となります。
このころから、グリップに厚めにテープを巻き、一握り余らしてバットを持つスタイルが定着します。
これでしばらくは、96年には安泰かと思いきや西武をリストラされた93年パの首位打者、辻発彦が移籍。ときには外野を守らされることもありました。
97年はまたまた「五番・二塁」で優勝に大貢献したのです。
99年新人ながら20勝を上げた上原投手をして、一番投げにくい選手といわしめる選手です。
01年の日本一にも故障と戦いながら貢献。
この、
「守備で1軍ベンチ入り」
「コンバート」
「右打ちもウマイが1発もあり」
というところ、「成り上がり」の過程などがホント好きなんですよ・・。
※ここ2年は規定打席到達には至らないものの3割キープと打撃は堅調。
守備はやや衰えを感じますが・・
しかし、試合に出していれば何かやってくれるのではという雰囲気は、他の追随を許さず、
若手の世代交代のカベになっているといえるでしょう。
参考:視力回復手術体験記(ヤクルトの選手こんなに手術受けてるとは・・・)