2004年12月04日

清原和博

510871c56917e04b452b81c2d4645a40.jpg

清原和博
読売ジャイアンツ 5
内野手 38歳 右投右打
188センチ 104キロ
率0.228本12点27試40
<率0.276本492点1439試2153>


はじめて生で見た野球の試合に出ていたのである。
しかも、ホームラン2本。しかも、2打席連続。
1本目はレフト。2本目はセンターだった。
とんでもない爆音だった。

彼は前年夏に1年生ながらPL学園の4番を務め、
全国大会優勝の実績を持っていた。
その彼が、PL学園が春のセンバツで
地元京都西(現京都外大西)と2回戦で当るという。

なぜだかわからないが、たまたま応援バスが出ると言うので
父親に言ってその試合を観に甲子園と来ていた。

しっかりとその残像が頭に残っている。
スタンド目がけて一直線。
打球が遠く遠くへ飛んでいく。

一塁側アルプススタンドにいた僕はただ呆然とした。
防戦一方。あまりもの大差に応援しない父親に喝も入れた。
仕方なく父親も声を出して応援した。

試合は1−10。PL学園は優勝こそ逃したが準優勝だった。
センバツ大会は通常、投高打低といって
ピッチャーの成績がよくバッターの成績が悪い。
ピッチャーが涼しくて投げやすい。
バッターが打ち込みが足りなくて打てない。
そういう大会である。だから派手さに欠ける。
夏の大会に比べるとその盛り上がりに欠ける。
そんな中、彼は1試合で2本もかっとばしたのだ。

1試合で2本。
それが彼のキーワードである。
彼は1試合に連発できる男だった。
そしてセンバツよりも夏の選手権でこそ真価が発揮された。
数々の甲子園本塁打記録を持っている。

1試合3打席連続。
3試合連続。
1大会5本。
甲子園通算13本。(5大会)

5大会は高校生が出場できる大会のマックスだ。
夏、春、夏、春、夏。
全大会で本塁打をかっとばしている。

ひとつだけエピソード。
それは高校三年の夏、準々決勝で起きた。

高知商の中山(元大洋)から打ったレフトへのホームラン。
推定距離140メートルとも言われる当たり。
甲子園のレフトスタンド上段に飛び込んだホームランは
プロ野球選手でも打つことができないという代物だった。

音。
彼が放った後の打球音は他とは比べ物にならない。


僕の高校一年生の夏の大会が終わってから
今のような消音バットに変わった。
音がうるさ過ぎて耳を悪くしたキャッチャーがいたとか。

金属バットの申し子と呼ばれた。
そういう世代である。
他のチームのバッターもホームランをよく打った。
だが、飛距離が違う。音が違う。そこらの高校生とも違った。

だから、松井秀が打っても
鵜久森(済美高−日ハム)が打っても物足りない。
音が違うんだよ、音が・・・。

プロ野球に入ってからの彼のことはご存知の通り。
えっ?知らない?
・・・仕方あるまい。

当然金属バットや高校生のピッチャーのレベルの問題ということも
言われてもおかしくはなかった。
が、そういう声が聞けたのは1年目の途中までだった。
終わってみれば高卒ルーキーの記録を塗り替え、
プロ野球記録である新人(1年目)31本塁打に並んでしまった。
そして打率.304をマークした。
3割は一流バッターの証明だった。

高卒で30本?!3割?!信じられない。
松井秀が11本だったことを思えばその凄みがわかってもらえるはずだ。
そんなバッターはそれ以来見たことがない。


僕が好きだったのは西武時代に1回裏に飛び出す
ライトへの少し詰まり気味のホームランだった。
芝生席にポトリ。少年たちが走ってそれを取りに行く。
東京ドームではそれを見ることができない。

闘争本能を剥き出してピッチャーに向かっていく姿勢。
デッドボールに腹を立てバットをピッチャーに投げつけた時もあった。
出場停止処分を食らった若き日の彼。

木製バットに持ち替えて20年。
あの日の髪型のままだが
音は違う表情を見せる。拍手や声援。
彼はバッターバックスへと向かう。
史上8人目のプロ通算500号まであと8本。
デッドボールにフォアボール、三振、一塁の守備。
彼ほど野球が似合う男はいない。と思う。



posted by しけたろう at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | みんなの選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック