
金城龍彦
横浜ベイスターズ 1
外野手 29歳 右投両打
177センチ 85キロ
率0.302本13点52試133
<率0.290本35点191試634>
横浜ベイスターズ 1
外野手 29歳 右投両打
177センチ 85キロ
率0.302本13点52試133
<率0.290本35点191試634>
2000年、ファンの目から見ても明らかにベイスターズのチーム状態は変だった。投打がかみ合わない....と言えば、野球にはありがちなこと。単なるめぐり合わせの悪さだけなら、時が解決してくれるかもしれない。だが、チーム内に不協和音があることは、ハタ目から見ても明白だった。さまざまなウワサや憶測が流れた。
そんなイヤな雰囲気を吹きとばしたのは、これまで実績のなかった選手たちの、ひたむきなプレーだった。ドラフト1位入団で、横浜では特別な背番号「24」(かつてのエース・遠藤一彦投手の背番号)を背負いながら、4年間活躍できなかった細見投手の力投。佐々木投手の穴を埋める、ルーキー木塚投手の熱投。谷繁捕手がジンマシンで戦列を離れている間、チームを立て直した相川捕手のリード。
そして何より、どんなときも必死でボールに食らいつき、ヒットを打ち続けた金城選手の活躍。
近大付属高校で甲子園出場を果たした投手。社会人(住友金属)時代も速球派の投手として鳴らし、打席には立っていないということなのだが、プロ入り後、当時ファームにいた田代打撃コーチの指導の下、スイッチヒッター(左右両打ち)に転向。2年目の2000年に、めきめき頭角を現した。
この年、横浜は最後までヤクルトとAクラスを争い、最終的に3位を確保するのだけれど、金城選手の活躍なしにはこの成績はありえなかっただろう。金城選手は打率.346で、史上初の新人王−首位打者ダブル受賞を果たす。
金城選手を「フリスビードッグ」に喩えたファンがいるそうだ。確かに、守備でもバッティングでも、全身でボールに「バコッ」と食らいつく様子は、見ていて気持ちいいほどだ。
その代わり、全身でボールに食らいつかないプレー、すなわち、「送りバント」や「盗塁」は極端にヘタ。
言わば「野生児」。自然体でプレーさせてこそ真価を発揮するタイプだ。2001年から2002年にかけての首脳陣の無理解から、打率.271→.170と大スランプに陥った金城選手。2003年から2004年は、山下監督の下、ノビノビとプレーできたのだろう。連続して打率3割に復帰。守備でも、俊足・強肩、なによりボールに食らいつく野生児の本領を発揮して、生き生きとしたプレーを取り戻した。
今後の活躍も楽しみ。さてしかし、「送りバント」がヘタなのはともかく、「盗塁」はできるようになってくれないと物足りない。なんと2004年は0個。せっかく足が速いんだから。
text by Honeywar
Honeywarの野球日記
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