<画像募集中>
立石尚行
北海道日本ハムファイターズ 25
投手 35歳 右投右打
4勝3敗0S防3.55試28
<17勝16敗1S防4.74試142>
立石尚行
北海道日本ハムファイターズ 25
投手 35歳 右投右打
4勝3敗0S防3.55試28
<17勝16敗1S防4.74試142>
北海道日本ハムファイターズ所属の投手。右投右打。
1970年5月14日千葉県生まれのA型。
サッカーの強豪校でも知られる市立船橋高校では、甲子園出場を果たす。1989年にNTT関東に入社後も、徐々に頭角を現し94年頃には「エース」格として活躍をしていた模様。主に先発登板が多かったようである。
94年、95年には自チームで都市対抗出場を果たすも、なかなか勝利には結びつかない。96年には新日鐵君津、97年には川崎製鉄千葉に補強されて都市対抗出場。補強先では、先発も抑えもロングリリーフもこなす、現在のファイターズでの活躍を匂わせるような起用のされ方だった。
1997年7月25日、第68回都市対抗野球大会2回戦・川崎製鉄千葉−三菱自動車川崎戦。
川鉄がリードを許した状況の中、5回途中から3番手として登板した立石投手は、6イニングにも及ぶロングリリーフを4安打2失点と、強打三菱打線を抑える。この間に川鉄は着々と点を返し、遂には延長線にまで持ち込むことに成功する。立石投手は5−5の同点の場面で降板したが、川鉄は見事にサヨナラ勝ちを収める。この大会で川鉄千葉はベスト4まで進出し、立石投手も優秀選手に選ばれる。
翌1998年は3年ぶりに自チームで都市対抗出場を果たし、初戦の大阪ガス戦で先発するもリリーフ投手の自滅によりサヨナラ負けを喫する。しかし、秋の日本選手権大会は「NTT関東」としての最後の大会。この大会で優勝したい気持ちは強かったことだろう。決勝で日本生命を破り、優勝。優秀選手に選ばれる。
また、同年12月のバンコク・アジア大会で2勝を挙げ、銀メダル獲得にも貢献する。
この年にファイターズにドラフト3位で指名され、入団。入団時の年齢は28歳だった。
年齢的なこともあり、当然のように即戦力として期待される。が、キャンプで右足首捻挫、開幕前には右ひじを痛めるなどして出遅れる。初めての1軍は5月中旬のことだった。
プロ初勝利は99年5月23日の近鉄戦。上田監督(当時)の退場のアクシデントに見舞われながらも、先発5イニングをローズと中村ノリのソロホームランに抑えて、勝利投手となる。
2年目に9勝を挙げたことから、一時は先発ローテーション投手として期待されたようだが、現在の活躍は中継ぎだけにはとどまらない。慢性的に先発投手が不足しているチーム事情により、先発を務めることもあるし、またロングリリーフもこなす。
野球では投手が試合の展開を左右することが大きいが、数字に表れることがなくても、ファイターズの投手陣を陰ながら支えているのが、この立石投手の存在であろう。
なお、札幌発の食べ物「スープカレー」にも強い関心を示しており、自ら「スープカレー部」を立ち上げている。一般ファン枠で部員を募集していたら、入りたいところである。
text by ぼんのすけ
ぼんのすけのこっそり日記
ぼんのすけのこっそり日記
ファイターズの立石投手が、オリジナルのスープカレーを開発したいとのニュースを聞きつけ、ネットで検索していたら、このブログへたどり着きました。
是非、わたしのブログへも遊びに来てください。